アメリカのサブプライム住宅ローン問題に端を発した世界的な金融危機は、100年に一度と言われるほど市場の混乱を招いていますが、私たちの生活にも影響が出始め、日経平均株価は下落が続き、日銀の金利の引き下げ、企業の倒産件数の増加など、徐々に私たちの身近にせまりつつあります。
日本では子どものうちからの金銭教育がなされていません。お金を儲けることはいけないこと、子どもの前でお金の話をしてはいけないとか、そういった考え方が今でも根強いのではないでしょうか。自分自身のことを振り返ってみても、子どもの頃、お金のことをきちんと学んだ記憶はありません。私が子どもだった昭和30年から40年代は(年がばれてしまいますが)日本は高度経済成長時代にあり、大量生産、大量消費という時代でした。
しかし、今の日本はそれでいいはずはありません。株や投資信託ブームですが、その裏腹に増税、年金不安、年収ダウンなど個人の生活をお金を脅かす環境はたくさんあります。その防衛手段や金銭感覚は一朝一夕ではなかなか育ちません。基礎的な金銭教育は社会に出るまでに行われることが必要なのです。
現代社会は交通網やインターネットの発達などにより、自宅にいながら買い物をすることができ、手元にお金がなくてもカードで決済をし品物を手にすることができ、人々は便利さを享受しています。
しかし、その便利さの陰に潜むリスクの存在を忘れてはなりません。便利になるということは、社会が複雑化することでもあり、私たちはどれくらいそれらのことを認識できているでしょうか。
現在、高校生の98%が携帯電話を所持し、所有する年齢も低年齢化しつつあり、その契約形態も変化しています。端末料金の高額化に伴い、通話料金と共に分割払いが増加し、それに伴う中途解約のトラブルも増加しています。分割払いが借金契約だということを認識していないことの表れです。
また、近年激増の多重債務問題は、子どもの頃からの金銭教育の欠落が要因のひとつだと考えられます。各種メディアに載るコマーシャルの影響で利用に対する抵抗感が減ってしまうことがあるようです。消費者金融の貸し出し基準がゆるいという問題と、短時間のうちに専用カードが発行され、簡単に現金を手にできる点に問題があります。支払い形態にリボルビング方式を取り入れていることも挙げられ、アメリカでは「リボ中毒」なることばもあり、知らず知らず感覚が麻痺してくるのです。リボ払いは毎月の返済金額が同じく、金額も低く設定でき、限度額の範囲なら自由に追加で借りられます。この仕組みが高金利を支払っているという自覚をしにくくしています。
更に、二十歳を過ぎれば大学生であっても簡単にクレジットカードが作ることができ、しかもショッピングのみならずキャッシング機能も自動的に付与される設定です。「学生ローン」なるも存在し、親の資力をバックにした利益重視のビジネスモデルであると言えます。
しかし、問題は返せるかどうかです。個人の金銭管理をしっかりとできる人に育てる金銭教育が重要です。お金のために自殺したり、身を滅ぼしたりすることがないように、自分自身に力をつけることが大切です。社会に出てしまった親の世代では、自己責任時代を生きる大人として、最低限知っておかなければならないのは、マネーの基礎知識や年金制度の基本的な仕組み、社会保障や税の仕組みなどです。自分自身も含めてですが、給料から天引きされているこれらについて感心を持たず、きちんと学ぶこともなく、これまで過ごしてきたことを反省しなければならないと思います。
規制緩和が進み、消費者に自己責任を求める分野が拡大されつつあります。商品サービスが多様化、複雑化している成熟した現在の日本の消費社会では、消費者の自己責任が求められるのは当然のことです。
一方で、事業者側の責任も同時に大きくならなければならず、モラルやCSR(企業の社会的責任)が求められるのも当然のことです。行政の対策として中立的な立場で、幅広く体系的にお金の知識を学べる機会を設けること、それらの体制作りが望まれます。
具体的には、NHKでの語学番組などのように、各ライフステージに合わせた段階的な金銭教育番組などが挙げられます。学校においては、小学生にはゲーム感覚でのお店での買い物のやりとりや、中学生の家計のやりくりシュミレーション、高校生による会社経営疑似体験など、無理なく楽しみながら学べる場を提供することで、金銭感覚を養うことが大切です。
多くの人が正確な知識を得ることは、自分自身のためだけでなく、社会全体の意識を高めることに繋がります。自立した考えをする人が増え、親と子どもと学校と社会とで、消費者力を金融分野にも発揮していきたいものです。
知識と智慧をつけることは「生きる力をつける」ことでもあるのです。