きゃりあ・ぷれす

りーだーず・ぷれす
「自分で何かをやりたい」「発信したい」と考える
『きゃりあ・ぷれす』読者による連載コラムです。
各担当者がそれぞれのテーマをに沿って、
思いを綴りながら、自らを成長させていく過程は、
共通の悩み・興味を持つ読者の皆さんにとっても、
共感を持ってお読みいただけると思います。
ご意見やご感想、質問などもお待ちしています。
じょいさん
「私の履歴書(35歳から)」
第5回
ここが私の出発点
ご無沙汰してました、じょいです。
梅雨も大詰めを迎えておりますが、皆様お変わりはありませんか?昨年末にチョイノリ(50cc原付)に乗って交差点に入ったら一旦停止無視の車にチョイノリごと跳ねられ見事に吹っ飛びました。あと1秒ずれていたら?チョイノリではなくもう少しスピードの出るスクーターにしていれば?と「運命」としか言えないような出来事でした。そんな悠長な事を言えるのは、とんだ割には元気だからですね。首の鞭打ちと数箇所の打撲で済んだのは不幸中の幸いです。鞭打ちは冷えや雨に弱い・・・そして今は梅雨・・・とか何とか言って甘やかした結果、ご無沙汰してしまった訳です。すみません、自分に甘くて。
自分の書いたものを改めると、自分の掲げたテーマ「35歳からの履歴書」について何も書いていないという発見がありました、ってだめじゃん!!という事で、これからはあまり脱線せずに行こうと思います。
なぜ35歳からにしたかというと、女性の場合キャリアに個性が出てくるのがその時期からではないのかなと思ったから もちろん私もその一人なのです。

34歳で7年勤めた会社を自己都合退職して(しまって)、その1年前に結婚してそしたら再就職活動が思うようにいかなくて(皆「妊娠」を理由に断られた!)派遣の仕事で食いつないでいた35歳。仕事に対する意欲と自負が世間に認められない辛さってない。気持の持って行き場がなくて心がささくれてしまう。やれ買った物が痛んでいるとスーパーにクレームの電話をしてみたり、犬の散歩や通勤途中で会う親爺たちと喧嘩してみたり。そういやスーパーの駐車場ってのもあったな。これは決して自慢話じゃなくて(実際恥ずかしいだけ)
今から思えばなんだけど、いちゃもんを吸い寄せる「気」みたいなものが私の周りに澱んであったのではないのかな?多分顔つきも違ったと思う! その「気」に人(主に親爺)が敏感に反応するだけでそんな事しても気が晴れる訳もなくますます気持は暗い方へねじれるばかりで相当最悪な私、願わくば2度とお会いしたくないワ
そんな最悪な私に何か褒める事があるとすれば自分が何をしたいのか、何を求めているのかを考えていた事、かな。初めての派遣の仕事はひたすら数字を入力していくだけで遣り甲斐なんてなかった。次とその次は時給はまあまあだけどひたすら暇だった。席に座っていればいいんだと言い聞かすたびに自分が好きになれなくなっていく。
そんな中、私が仕事に求めるものが少し見えてくる。
遣り甲斐≧時給
自分のした事を誰かに褒めて貰いたい、積極的な評価が欲しい、そしてそれが時給に反映されればなお嬉しい。当り前な事だけどはっきりとそれが分かった。そう言えば初めて入った会社もお給料がむちゃくちゃ良かったのに、仕事内容に変化がなくて6年で辞めちゃったんだっけ
社会人になって仕事を覚えると、自分はこの会社でどれだけ出来るのかとか、同期の○○さんより出来ると言われたいとか他者と比較するようになる。これって当り前の事で、評価される事で自分の居場所を確認しているのだ。一般職だった私は、積極的な評価を受けた覚えがなく、2つ目の会社で運良く好評価を頂けたが辞めた理由が上司との確執だったため、退職と同時に自分の評価自体ちゃらになって。35歳の私は改めて仕事の評価をもらいたかったんだと思う。本音を言うと本当は2つ目の会社、辞めたくなかったんだ。自分の仕事を愛していたもの。上司を取るか私を取るかどっちかにしてって一人芝居して、勝手に自分で辞めてしまったから、未練たらたらで心の傷がかなり深かったと思われる。ある意味ここが私の出発点なのであります。
この2つ目の会社についてはその後日談などありまして。それはまた改めて読んで頂こうと思います。
思わず私の原点が出た所で今日はお終いにします。あ、ついて来てますかー?!自分でも展開が読めない支離滅裂な文章で申し訳ありませんが、今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m