見渡せば目に青葉、山ホトトギス、畑に春野菜の姿、夏野菜の芽・・・田んぼは青い苗が規則正しく植えられて、今に青々とした絨毯に変わる。おたまじゃくし、カブトエビ、タニシらがうごめき、小さな命が繋がっていく。今年も無事にその季節を迎える。小さな、小さな平々凡々の日々。毎年毎年めくられる農業日誌。お天道様と共に暮らす日々・・・そんな「晴耕雨読」に憧れております。
あと十年後位には半自給自足の生活に入れるだろうかと考えているこの頃。現金を稼ぐ日々に辟易している、といってもいいかもしれない。地域格差に世界的恐慌、食料・エネルギー・水の争奪戦・・・考えれば考えるほど「厭世」の心境。大袈裟かもしれないが、経済市場社会から距離をとり、ある意味、その連鎖から解き放たれて、自然やきれいな空気、美味しい水や新鮮野菜、米などは「分けあい」ながら暮らしていける、そんな「ほどほど生活」を夢見ているこの頃。いえいえ、悲観的な感情ではなくて、欲望を70%に抑えていけばなんとかなるではないか、という前向きな発想であります。極めて健康的な発想であります。
ある時、40代の若き雑貨店主と話す。田舎の空洞化、農業の後継者不足、少子高齢化・・・これには、都会のワーキングプアやネットカフェに身を託す流民を田舎に出稼ぎに来てもらい、農業や小さな商いに従事してもらう。同じ年収200万でも、都会にいて消費するだけの生活からは想像できないほどの豊かさがある。老人ばかりの市内は空家率3割という。なんとか都会と田舎の過不足を補い合うことができないかと話す。同じ考えを持っているので、鳥取県を「何とか元気にせないけんですな」と即意気投合。・・・関東、関西、名古屋の3大首都圏に、日本の人口の5割が集積しているという。おかしくない?
同じ頃、知り合いの農家の後継ぎから相談ともとれる話。彼は母親と二人でぶどう栽培をしている小規模な農家だ。地方の農家は同じような状況にある。「僕は農業は好きだし、野菜やぶどうも作って行きたい。だけど、今年の農業所得を計算するに真っ赤な赤字ですよ。農協に支払う資材、箱代、肥料、薬等の代金、販売手数料、ぶどうの卸値はたたかれるし等々・・農協は、農家を食いもんにしよるとしか思えないですよ」と、憤慨しながら話が始まった。「来年はどうしようかと悩んでるんですよ・・・」
これには、さすがに困った。「今が踏ん張りどころ!」と日頃から頑張ってきた彼だけに悩みは深刻だ。実際、農家は農協に卸すより、販売先が確保されるなら直接販売して所得をあげたいところ。本来ならば、各農協が農産物の商品価値を上げて、農家も喜び、誇りの持てる農業を育てていくのが仕事ではないか。大規模農家ばかりが優遇される今の農業政策には、ホトホト嫌気がきているという。農家も自立せよ、経営者になれ!とは言うものの、一人何役もはできないよ。
それなら・・・直接売りに出ようじゃないか!一緒にやってみよう!と「鳥取の砂丘ぶどう」のネットショップを立ち上げた。見事な農産品を提供し、消費者、生産者、販売者が納得できる取引関係を築いていかなければ長続きしない。そして、地産地消ではないが、鳥取県をふるさとに思う人たちが全国に散らばっている。安心できて、美味しい農産品を、ふるさとを思いながら食卓を囲み、子ども達やご近所の友人知人にふるさとの素晴らしさを広めていただきたい。安心していただける食料を供給する田舎のふるさとを応援してほしい。疲弊して後継者のいないふるさとを再生させるには、自分のふるさとの産品の購買を広めてほしい。外国産のぶどうやワイン、食料を買うよりも自分のふるさとのぶどう、ワイン、地酒、産品を購入していこうよ!・・・こういう呼びかけを始めたのです。
ふるさと納税にしても掛け声は良いけれど、税金の使い方に大いなる疑問を抱いている現実。「これに使ってください」という意思表示も出来ない「ふるさと納税」になんだかなぁ〜と思うのです。皆さんはいかがでしょうか?生まれ育った「ふるさとの今」に思いを馳せてみましょうよ。
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