きゃりあ・ぷれす

りーだーず・ぷれす
「自分で何かをやりたい」「発信したい」と考える
『きゃりあ・ぷれす』読者による連載コラムです。
各担当者がそれぞれのテーマをに沿って、
思いを綴りながら、自らを成長させていく過程は、
共通の悩み・興味を持つ読者の皆さんにとっても、
共感を持ってお読みいただけると思います。
ご意見やご感想、質問などもお待ちしています。
ハナコさん
「三度目の人生設計」〜田舎で働く!土と暮らす!〜
第2回
身のほどを知れば知るほど難しい!
会社が解散してしまうと社長はこんな私のために次の職場を探してくれた。取引先の印刷会社で安定した職場だったけど大胆にもお断りしたのである。逃げだしたと言うほうが正しいかもしれない。なぜって、その社長の顔が見えない、全体が見えない、トンネルの出口が見えないという不安を感じたからだ。仕事は安定し、ボーナスもあってお給料も上がっていくかもしれないけど、「共感」するものがないなぁと感じられたからだ。ここから逃げ出してどうしていく?先の事など考えもせず。今、思えばなんと我が侭なこと!
写真1
写真1
よくも悪くも地方出身者であるが(威張るなって!)、身分、出生で差別はされない、自分自身が勝負よ!なんて思うのは若さゆえ。採用する側にしてみれば、その背後にあるネットワーク(家族の職業や役職、親類縁者)の価値を見るという裏の判断基準がある。付加価値が高ければ高いほど採用したくなるというものだ。
優秀なスキル、豊かなネットワーク(縁故)があれば別な話だが、はっきり言って「地方出身者は、就職に不利!」。就職活動に直面したある友達親子の会話。「お母さんだけでもいいから、こっちに転居してこない?」と娘から電話がかかってきたというのだ。面接官が「こちらにはご家族がおられないのですね?」「はい」・・結局、2次面接で不合格だったという。女性だからなおの事、金融関係など特にだと思うけど、自宅通勤ではない女性がどんな事件に巻き込まれるか、あるいはトラブルを引き起こすかというリスクを考えてしまうらしい。地方出身で左右されるの?とは言いたくないが、書類審査の段階から「自宅通勤に限る」という条件を出している会社があるという現実。
写真1
写真1
振り返れば、私が「身の程を知った」(正しくは、諦めだと指摘する人もいる)のは28才をちょいと過ぎてからだったと思う。若いというだけで、身の程を知らず、社会に挑戦しているつもりの自分がピエロに見えた時、「あ〜ぁ、このまま都会に埋没していくのも虚しいなぁ。これまで自分のことで精一杯流れに抗ってきたけれど、これからは自分以外の誰かのために生きていこう」と考えはじめた。余力があるとすれば、誰かのために捧げようと。言い換えれば「自分自身を見切った」ということだ。客観的に「身のほど」を判断できたなら幸いである。その結果を素直に受け入れる余地があれば次のステップへとつながっていく。潔く方向転換して別の道を生きることができる。それはそれで前進を続ける自分なのである。
「先ずは身のほどを知ることから!」なんて大風呂敷を広げたものだが、身の程を知れば知るほど難しいことはないと、今でも一段と強く思うことなのである。それでも「自分って何ほどの者よ?」という意識を持っていると、不思議な出会いがやってくるものである。『自分を見失ったと思っても「自分探しの旅」にでることなどないのだ。探している自分は、自分自身の中にこそある。』とある哲学者は言っている。学生の頃に描いていた人生設計とは違って「こんなはずじゃなかったんだけど、っまいっか・・・」と犬と 散歩しながらの道をいく私だけど、田舎暮らしでも「悪くないんじゃない」と思える今がある。人との出会いと時代の変化、ITの進歩があってこそ!だね。感謝しなくちゃね。
写真1