第1回
先ずは「身のほどを知る」ことから!
(その1)
私が住む田舎は、ご多分にもれず都会の人々が羨むばかりのきれいな空気と、おいしい水に清らかなせせらぎ、みどり豊かな大自然、温泉がそこここにあり、「いいところ」「住んでみたい所」ランキングには事欠かないのです。・・・なのに、誰も引っ越してはこない(笑)。突然だけど、では、ここでお遊びで「とっとり検定」をしてみましょう。
・「とっとりけん」って漢字で書ける?
・とっとりけんって、どこにある?
・山陰一の秀峰大山があるのは?
・とっとり砂丘があるのは?
・「三朝温泉」と書いて、何と読む?
ところで、人口は日本の1/200、面積は約1/100、県民総所得は下から見るほうが早く、女性の就業率全国1位、軽自動車の保有率が高く、家族みんなで所得を確保しなければならない現実。パンやカレーのルー消費が日本一(なぜだか分る?)、これが私の住む田舎暮らしの真実なのね。懸命に子育てして、若者達の多くを大学や就職で都会に持ってかれちゃう!(だから、今話題の「ふるさと税」というもの、一理あると思うのよね。)ですが、これはこれで「良し」と思うのね。エネルギーあふれる若者は都会で修行してくればいいと思う。いや、積極的にしていただいたほうがよろしい。都会で経済や流通や商売やコミュニケーションなどの様々なお勉強や体験・経験を積んでくるといい。多様な価値観、世界観を見て欲しい。漠として生活している若者達には、10年後、20年後、30年後の人生設計、こうありたい姿をイメージして欲しいと願っている。
さて、学生時代を東京で過した私は、若さと体力に物言わせて「自分の人生」を謳歌してきた。「私の人生は私のものよ」と、今振り返れば若さゆえの思い込みも許されたような気がしている。極々小さな出版会社で5〜6年働いた。不思議なことに、この会社の人々は、若い頃に学生運動でならしたとか、第一線で働いてきた人々が組織を離れ、「自分達の働き方」を模索して作り上げた会社だった。誰にも命令されず、誰からも管理されず、自分の仕事は自分で見つけてくる!といったものだったので、すっごく自由で、納得する仕事をする、といったものだった。だから商業ベースには中々乗らないし、いつもみんな貧乏だったね。しかし、私はこの雰囲気が嫌いではなかった(笑)。
ボーナスに代わる「お餅代」というほんわかとした年末手当があったりして。「ぼろは着てても、心は・・・」っていう諺があるけど、これを地でいっていたような人たちの集団。お給料が安くても、楽しく働くことができたのである。お金では計れない、豊かさのようなものを教えてくれたような気がしている。
残念なことに解散(倒産?)してしまったので、私の第一の人生設計はここで設計変更を余儀なくされるのだが、この会社で触れた価値観がその先を左右することになるとは・・・。ここでの経験が、後々身を助けることになるとは想定外だったけど(笑)