きゃりあ・ぷれす

りーだーず・ぷれす
「自分で何かをやりたい」「発信したい」と考える
『きゃりあ・ぷれす』読者による連載コラムです。
各担当者がそれぞれのテーマをに沿って、
思いを綴りながら、自らを成長させていく過程は、
共通の悩み・興味を持つ読者の皆さんにとっても、
共感を持ってお読みいただけると思います。
ご意見やご感想、質問などもお待ちしています。
ハナコさん
「三度目の人生設計」〜田舎で働く!土と暮らす!〜
第3回
大いなる発見!
ずっとずっと幼い頃から「男に生まれたかった!絶対男の子の方が得!」と想い続けてきた。小・中学生の頃は、何をやるにしても「男の子」が先で、何につけてもその「優位性」が悔しかった。子どもの頃の男女の差なんてなぁんも無いし、ともすれば女子の方が気力も体格も十分に勝っているから、「なんで男子なのよ?」と。何をおいても「男子が先」は当たり前のこと。誰も文句を言い出すものなどいなかったが、私の中でそんな想いはくすぶり続けて、中学、高校と成長していった。
写真1
しかし、高校を卒業する頃には体格も力も男子には勝てないし、大学になるとそんなことはどうでもよくなっていた。特に高校などは数年前まで女子高だったというので、圧倒的に男子が少なく比べようもなかった 。いわゆる「アマゾネス」のような学園生活。自然界ではオスがいないとなると、メスの中から「オス化」していくものが現れるそうな。私の高校生活も似たような現象があったのかもしれない。大学になると、いつの間にか周囲には男子がほとんど。なんで?男子の発想が「面白い」し、行動も大胆で、用心棒にもなって、男の子の友達のほうがやさしく肌理細やかな感性を持っていた。
結局、生きるに当たって男女の性差などどうでもいいことなのである。人間なんて表面上だけが凸凹しているのであり、それが初見で分かりやすいようになっているだけであるから。男女が求め合うという欲求は、それぞれの不足の部分を補い合って、完全体を模索することなのである。もし、そばに貴方の相方が居られるなら、よぉ〜く人間ウォッチングしてみて!それは表面上の男か女かであって、本質的には性質が逆転しているのかもしれないですよ(笑)。ただ、生まれ持っているDNAやら器官の差異はどうしようもないけど(悲)。
さて、そんな私が「私以外の誰かのために余力を捧げよう」と考えた時、地域活動やボランティアではなくて、一番先に思いついたのが「子どもを生み育てること」でした。第2の人生設計の段階にきたのです。こればっかりは相方に求めるわけにはいかなかったので私が実行することに。しかし、私が生むことに大きな意味があったのですね。その時は欠片にも思ってはいなかったけど、第2の人生設計(結婚、家庭、子育て)は密かに計画されたものであったかもしれないと今に思うのです。
3人の子育てもそろそろ卒業真近かという今、その過程の「泣き・笑いの20年余」を懐かしく思う。とても充実した日々であったし、子どもたちに感謝している。そして、家族にも。夫は自営業で、日本で一番田舎度の高い鳥取県でデザイン事務所を構えている。起業してもうすぐ20年になるけれど「田舎で、デザインを生業にする」ということは、ある意味で日々が戦いであったといってもいいかもしれない。その戦いの中にあっても共に子育てをしてくれた。彼というキャラクターでなかったら、とても今日までの達成感は感じることができなかっただろうとこれまた感謝している。
ここで「子どもを生み育てる」ということが、立派な社会参加であるということを大きな声で言わなければいけない。残念なことに、女性たちの多くは家庭に入り子育てすることは対社会的には「マイナス」だという受け止め方をしていないだろか?もちろん、どういう形で働くか(=社会参加)ということは個々の価値判断によるものだが。この私も若い頃は、家庭に入り子育てすることは社会参加を「中断・後退」することのように思えていた。男性と同じように働くことで認知されるという錯覚。それも一理。が、そうじゃないことが此処にきて分かってきた。子育ては、多彩に楽しめる社会参加である!という大いなる確信を得たのです。女性の働き方(社会参加)は、本当に多彩で変化に富んでいる。……女性に生まれて、ホント良かったよ!!