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仕事と社会のこれからを考えるリポート&アクションマガジン
「きゃりあ・ぷれす」vol. 160
2004・3・31(水)発行
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■INDEX■
【特集企画】天職を探せ 第12回
「せっけんシャンプー」って聞いたことがありますか?
『I.c.o private hair salon』ヘアスタイリスト
平川愛子さん(前編)
◆日本での美容師時代〜ヘアメイクの仕事を経てカナダ行きを
決意
◆カナダでの美容師生活
◆帰国〜石けんとの出会い
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皆さんは「せっけんシャンプー」って聞いたことがありますか?
「髪に優しい」「環境に優しい」ということで既に使っていらっしゃる方も
いるかもしれません。これまで自宅では石けんシャンプーを使っていても、
美容院で石けんシャンプーを使えるところはあまりなかったのではないでし
ょうか。
今回はそんな「石けんシャンプーで髪を洗える」美容院を東京・広尾にオー
プンさせた美容師の平川愛子さんをご紹介します。
意外(?)にも平川さんが石けんに目覚めたのは国民生活センターのおばさ
んの一言だったとか…。平川さんがどのように石けんと出会い、そしてお店
をオープンさせるに至ったのかじっくりお話を伺いました。
(聞き手:コラボレーション編集スタッフ 西口聡子)
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「せっけんシャンプー」って聞いたことがありますか?
天職をさがせ 第12回 平川愛子さん(前編)
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平川愛子(ひらかわ・あいこ)さん
札幌の美容学校を卒業後、東京での美容院、ヘアメイク等の仕事を経てカナ
ダで5年間美容院に勤務。帰国後、石けんに出会い、2003年7月に石けんシ
ャンプーやヘナだけを使う自然派美容院『I.c.o private hair salon』を東
京・広尾にオープン。サロンワークだけでなく、手作りコスメのワークショ
ップや、ボランティアで抗がん剤治療を受けている人たちのヘアカット等も
行っている。
『I.c.o private hair salon』
→ http://homepage2.nifty.com/icoroom/
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現在、平川さんは予約人数の関係上新規のお客さまの受付を行っていらっし
ゃいません。ただ、サロンには平川さんと同じ考えをもつ自然派美容師の方
々が他にもいらっしゃいますので、「是非石けんシャンプーを試してみたい!」
「石けんシャンプーのことで相談にのってほしい」という方がいらっしゃい
ましたら、是非i.c.o salonのHPを御覧になり、メールにてご連絡ください。
又、自然派美容師として活動していきたい方も募集中との事です。(2004/7/13追記)
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●日本での美容師時代〜ヘアメイクの仕事を経てカナダ行きを決意
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−平川さんが自然派の美容師として働いていらっしゃるのを知って、天職に
巡り会った方なのかなと思っているのですが、今のお仕事に辿りつかれる
までの経緯を今日は伺いたいと思っています。
平川さんはそもそもどうして美容師になろうと思われたのですか?
◆私は家族が転勤族だったので、小さいころ結構海外を転々としていたんで
す。私は生まれてから七歳くらいまではインドネシアで育ちました。妹た
ちも海外で生まれています。海外で生活することが多かったせいか、両親
から「あなたも世界中どこでも働くことのできる仕事に就くといいよ」と
言われていたので、自分が裸一貫でどこにいっても仕事ができる職業、コ
ックさんとか、美容師さんみたいな“手に職”みたいなことを仕事にする
のがいいかなと子どもの頃から思っていました。
進路を決める時期となり、「このあとどうしようかな」と思っているとき
に父の転勤があって、それがはじめて国内の札幌だったんです。そのとき
母に「あなた一緒に行ってくれば」と言われたので、「それじゃあ札幌の
美容学校に行こうかな」と思ったんです。それで父の転勤に付き添って2
人で北海道に行きました。
そんな感じで札幌の美容学校に入ったんですけど、入学してみたらすごく
楽しくて、先生もいい方ばかりで「美容って面白いなあ」と思ったので、
ただがむしゃらにインターンまで札幌でやっていました。私のときは1年
勉強してさらに1年インターンをやると国家試験を受けられたので、国家
試験を受けて東京に戻ってきました。
−東京に戻られてからはどうされたんですか?
◆普通のヘアサロンに勤め始めました。その頃はまだ環境のことなど何も考
えていない頃だったので、「次はアレができるようになりたい」とか必死
に技術の勉強をしていました。
サロンワークとして、まずできないといけないことがシャンプーです。そ
れが最初はなかなかうまくできないんです。手を別々に動かさないといけ
ないのが同時に動いてしまったり(笑)、お客さんを泡まみれにしてしま
ったりしていました。シャンプーは本当に大変で、毎日泣いていました。
シャンプーができるようになると次はブローで、私がブローしても手でぐ
しゃっと髪をつかむと髪が乱れたままなんですが、先輩がやると手櫛でふ
わっと戻るんですね。先輩のブローは髪の根元まで均一に熱を入れてるか
らなんです。ブローの次はパーマの巻き方やカラーです。そういう風に段
階をクリアしながらだんだんとお店の中で任される部分が多くなっていく
んです。
◆技術をひと通り覚えると次に大変だったのが“喋りながら”カットをする
ことです。ところがこれができないんですね(笑)。カットに集中して喋
れなかったり、逆に話し込み過ぎて手がおろそかになっていたりで、お店
はいかにお客さんを回転させるかなので、手が止まっていると、「ひとり
にそんなに時間をかけてたらダメ!」と言われるんです。もう毎日が必死
でした。帰りも毎晩12時で、家には寝に帰るだけでした。朝も早くに出
て掃除やタオルを整頓したりしてました。
−当時、こういう美容師になりたいとか、やりたかったことはあったんです
か?
◆目標としていたのは、やはり同じお店で働いていた先輩の方々でしたね。
すごくお客さんが喜んで帰ってくれているのを見ると、私もそういうふう
にお客さんに喜ばれる美容師になりたいなと漠然と思っていました。ただ、
そうなるには技術がないといけない、いくら接客が良くても頭がぐしゃぐ
しゃだと意味がありませんので、当時はとにかく技術を磨くことに必死で
したね。
−その美容院の後、ヘアメイクの仕事をされていたんですか?
◆ある程度仕事はひと通りできるようになっていたので、何か新しいことを
やりたくなってきてたんですね。それで私の場合はたまたま撮影用のヘア
メイクの仕事の話が来て、そういうのも面白そうだと思ってそちらに移り
ました。ヘアメイクの仕事を始めたのは東京に戻ってきて、美容院に3〜
4年くらい勤めた後だと思います。
−それまで勤めていた美容院とは仕事内容が違うんですよね?
◆私がやっていたのは撮影のためのヘアメイクです。ミュージカルや映画と
かコマーシャル、テレビなどの出演者のヘアメイクを担当するんですが、
私はセットをするのが割と好きで、実際にはお姫さまのようなヘアメイク
をすることはまずないんですが、そこだとそういう極端なヘアメイクを思
う存分できるので楽しめました(笑)。
ただ、ミュージカルだと始まってしまうと1日2公演を3か月くらいやり
続けるわけです。その間、毎日同じセットを繰り返さなくてはいけないの
でそういう日々が続くとだんだんと飽きてきて、最終的に私はヘアメイク
の世界に魅力を感じなくなりました。
それに、コマーシャルとかは特にそうなんですが、スポンサーの力が強く
て、私たちが「こういうのが作りたい」と言っても、スポンサーが「三つ
編み!」というと三つ編みになってしまうんですね(笑)。これが美容院
だとお客さんと相談しながら作り上げていけるんですが、言われるがまま
で全然クリエイティブな仕事ではないんです。そんな頃「思っていたのと、
ちょっと違うかな」という話を母にしたら、「そろそろ外に出て、世界を
見てきたらどう?」と言われたんです。
−平川さんの転機にはいつもお母さまが登場されていますね(笑)。
◆そうですね。父親もそうなんですが、両親共に一か所に留まるよりはどん
どん外に出ていけ、海外にいきなさいという考えなんです。私の妹なども
海外の大学に行かされていますし。結構、うちの家族は“追い出され型”
なんですよ(笑)。
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●カナダでの美容師生活
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−そこで海外に行かれる決心をされたわけですね。どこに行かれたんですか?
◆今にして思えば無謀なことをしたと思うんですが、飛行機のチケットだけ
を持ってカナダに行ったんです。行き先は今はいろいろ選べるみたいです
が、私のときはニュージーランド、カナダ、オーストラリアしか選べなく
て、たまたまニューヨークに友だちがいたのでトロントが近いという理由
でカナダにしました。ワーキングホリデーを取って空港に着いたら、とり
あえずホテルを1週間予約して「さて、これからどうしようかなあ」と思
っていました。本当に行き当たりばったりです(笑)。
ホテルを予約してから、日本食のレストランや日本のものを扱っている用
品店に行きました。そういったお店の壁にはルームメイトの募集とか、ア
パートの情報やアルバイトの募集なんかも貼ってあるんです。ホテルの予
約をした週にアパートは見つけました。たまたまひとりでアパートを借り
ている名古屋から来ていた女の子が帰国するというので、場所も便利だっ
たし日用品も安く譲ってもらって部屋は決まったんです。それから次は英
語を学ばなきゃ、ということで英語学校に通いました。
−カナダに行かれてから英語を勉強し始めたのですね。
◆今までいたことのある外国は英語圏ではなかったので、英語は喋れなかっ
たんです。でもカナダに行くと英語学校はいっぱいあるわけで、留学に備
えて勉強するのはお金がもったいないと思ってましたね。それで英語を勉
強し始めたんですが、学校だとゆっくり話してくれるのでもう話せるよう
な気になってしまうんですね。でも八百屋のおばちゃんと話すともうチン
プンカンプンで(笑)、それでもう学校で勉強しても意味がないなと思っ
て、その頃ちょうどお金も尽きかけていたこともあって仕事を探し始めま
した。
−仕事はすぐ見つかりましたか?
◆仕事を探すのには地元の新聞を買ったんです。裏面に求人情報が載ってい
るんです。すると、“アシスタント募集…ヘアサロン”とあったので、英
語が喋れなくてもシャンプーくらいさせてもらえるかなと思って応募した
んです。電話をかけると、明日の朝の何時に来てください…みたいなこと
を言われているみたいなに聞こえたので(笑)、翌日行ってみたんです。
行ってみるとすごく素敵なサロンだったんですね。男の子が8人くらいで
やっているところでした。技術をチェックしますとか、何を言ってるのか
やはり分からなくて笑うしかなかったんですが、シャンプーをすると、み
んな驚くんです。日本の手先の技術というのはどうやらすごいみたいで、
「明日から来てくれ」ということで採用になったんです。その日は15人
くらいが面接に来ていて、採用されたのは私ともう1人だけでした。
−日本の美容院との違いはありましたか?
◆ものすごく違いましたね。例えば床をしゃがんで拭いていると、「どうし
てそんなことをするんだ」と言われるんです。あちらでは床が汚れていて
もそのままで、そういったことは掃除をする業者の人たちがするんです。
日本ではアシスタントがそういったことをするんですが、あちらはその辺
りが全然違って合理的でした。
それから、働き方も日本とは違いましたね。はじめの1年はアシスタント
だったのですが、2年目からはセット面を与えられました。カナダのサロ
ンは鏡が付いた1セットを1人のスタイリストが経営しているような感じ
で、お客さんもお店についているのではなく、あくまでスタイリストを目
当てにやって来ます。私も2年目からは自分のお客さんを少しずつでも見
つけていって、自分でやりなさいと言われました。それで日系の人とか、
駐在員の奥様たちとかを少しずつ口コミでお客さんにしていきました。給
料は、アシスタントの1年はもらっていて、2年目からは半分フリーラン
スのような感じで自分の分は自分で稼ぐ、みたいな感じでした。それでも
2年目までは一応少ないながらも給料は出ていて、足りない分は自分で稼
いでいました。そして3年目からは給料は一切なしです。
−なかなか厳しいやり方のように思えますね。失礼かもしれませんが、収入
面では大丈夫だったんですか?
◆それが、日本人というだけで珍しがられて、結構お客さんが来てくれて、
そのお客さんからの紹介でまた来てくれて何とかなりました。もちろんお
客さんが来ない厳しいときもありましたが、やり甲斐はすごく感じていま
した。やればやっただけお金になるということもありますが、それよりも
お客さんとの信頼関係が日本よりもずっと“濃い”んですね。東京だと
「もうこの人と会うことはないだろうな」と思いますし、そういったお客
さんとの関係が前提で働いていますし、私は美容室に属するいち美容師で
しかないわけです。それがカナダではフリー扱いですから、お客さんは私
を目当てに来るわけですから休めない。熱が40度あるときでも行ってい
ました。
−サロンのスタッフはどんな方達だったんですか?
◆スタッフは男の子ばかりで、私と一緒に入ったアシスタントが女性でした。
あとは年輩のカラーリストの方が女性でした。男の子は全員がゲイの子た
ちで、ベジタリアンでもありました。みんなすごく優しくて親切で、英語
も丁寧に教えてくれました。日本のことにも詳しくて、料理をすると湯葉
とか使いこなすし、味噌も5種類くらいは揃えていたりするんです。日本
人よりよほど日本人らしい人たちでした。
「アイコは素晴らしい食文化のある国から来たんだから、自分の国の食文
化を大事にした方がいい」とよく言われて、コーラとか飲んでいると死ぬ
ほど注意されました(笑)。
彼らがベジタリアンなのは、私は単純に野菜が好きなのかなと思っていた
ら、“反戦”や“平和”の為に肉を食べないんだと聞いて衝撃を受けまし
た。肉はとてもたくさんのエネルギーが必要で、広い牧場やたくさんの作
物を消費して牛などは育つので、自分たちが肉を食べないことで、今地球
上で飢えている子どもたちに牛が食べているとうもろこしや穀物が回って
くれば、その子たちは飢えずにすむんだと彼らは言うんです。お腹が一杯
になれば、貧困から発生する憎しみや争いがなくなるんだよ、だから僕た
ちは肉を食べないんだと聞いてびっくりしたわけです。それまで私も肉を
食べなかったんですが、それはあくまで好き嫌いの問題で食べてなかった
だけなんですね。貧困の問題とか、そんなことは考えたこともなかったん
です。
そのサロンでは本当にいろんなことを教えてもらいました。今の社会で問
題になっていること、戦争のこととか話してくれて、その経験は私の中で
はすごい大きなインパクトになりました。
他にも、スタッフの男の子たちは食べることもすごく大事にしていて、
「いいものを食べなさい」とよく言われました。私が日本の文化で育った
ということをうらやましがられました。それに、お醤油でもちゃんと熟成
されたものを使いなさいと言われたりしました。それは、ちゃんとしたも
のを買う人がいなければ、いいものを作る人がいなくなるからって。もう
万事がそんな調子でいろいろ教えてくれるんです。それがとても居心地が
よくて、結局5年くらいそこに居ることになりました。
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●帰国〜石けんとの出会い
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−カナダから日本に戻ろうと思ったのはどうしてでしょうか。
◆ちょうど母が身体を悪くしたということもあったのですが、自分の中で海
外の生活に満足してしまったのかもしれません。海外に行く前は、海外に
行けば何か楽しいことがあるだろうとずっと思っていて、確かに行って1
年、2年は楽しいんですが、だんだんと日常の感覚に戻っていくんです。
海外といっても良い人もいれば嫌な人もいて、そういったことが分かって
くるんですね。だから、日本で自分が楽しく過ごせない人は海外に行って
も楽しくないと思います。海外に行ったからといって誰かが楽しませてく
れるわけではありませんよね。むしろ、海外の方が常に自己主張するとい
うことを求められます。カナダにいた頃、たまに日本人と接すると「わあ、
なんて優しいんだろう」と思うんですね。日本人は常に相手の気持ちを考
えるところから会話が始まるんですが、海外だと自分の言いたいことを主
張するのが当たり前なんです。その「ワタシ!ワタシ!」というのに少し
疲れてしまったのかもしれません。
−日本に帰国されてからはどういう風に働かれたんですか?カナダでの働き
方を経験されて、変化はありましたか?
◆日本に帰って来てからは、カナダのサロンでの働き方の影響が大きくて、
日本の美容院で働くのは躊躇しました。日本は勤務時間も長いですし。そ
れで友だちや知り合いのお店を手伝いながら働いていました。
−久しぶりに日本で働いた印象はいかがでしたか。
◆もう慌ただしくて、まるで工場のような印象を受けました。人の動きが流
れ作業で、カットする人、ブローする人が入れ代わり立ち代わりでお客さ
んを交換して作業するんです。それは日本では当たり前のやり方なんです
が、そこから離れていて久しぶりに経験するとものすごく疲れました。溶
剤の臭いとかもすごいですし。あと、お客さんの地肌が荒れているのが気
になりましたね。ちょうどその頃“茶髪”がブームで、みんな髪の毛を染
めていたんですね。だから、地肌が赤く腫れていたり、髪が薄くなってい
る子がいたりして、これはちょっと大変なところに戻って来てしまったな
と思いましたね。
そこで、カナダにいた時のような働き方ができるところはないかなあ、と
思い始めたんです。
当時知り合いがヘアメイクの事務所を持っていて、セット面を2つとシャ
ンプー台がひとつだけあるようなところだったんですけど、そこを貸して
くれることになったんです。そこで、お客さんがあれば売り上げから何割
か払うような契約をして働き始めることができました。
−石けんとの出会いはいつごろだったんでしょう。平川さんと石けんとの出
会いを教えてください。
◆日本に帰国後、実は私変なマルチ商法みたいなものに引っ掛かって結構な
金額を支払ってしまったんですね。カナダでの影響もあって、その頃自然
なものに少し関心があったので、「自然派ですごくいいものがある」と知
り合いの知り合いみたいな人から紹介されて、会員になっちゃったんです
よ。その頃は「自然派」とうたっていれば何でもいいと思ってたんですよ
ね(笑)。
そうしたら、会員になってから1週間もしない内に本屋でその会社につい
ての本を見かけて、いいことが書いてあるに違いないと思って読んだらと
んでもなくて、その会社の製品は自然派をうたっていても中身はドラッグ
ストアで売っている合成洗剤と変らないから気を付けてください、とあっ
たんです。もうびっくりして、国民生活センターに駆け込みました。
すると生活センターのおばちゃんに「自然なものを使いたいんだったら、
100円で買える石鹸で充分なのよ」と言われて、そういえばカナダのサ
ロンでも石鹸を作ってたことを思い出したんです。「そういえばあの子た
ち、作ってた!」って(笑)。
−カナダでの経験がその時すべてつながったわけですね。
◆そうなんです!それから図書館に行って、環境問題や化学薬品についてと
か調べまくりました。それで分かったのは、カラー剤やパーマ剤、シャン
プー剤の恐さです。
そういった化学薬品が身体や自然に与える影響を知って本当に恐ろしくな
りました。街を歩く子たちがみんな髪を染めたりパーマをしていて、その
溶液が配水管を流れて川や海に流れていくのだと思うとゾッとしました。
そのときは真剣に美容師という仕事を辞めようかと思ったほどです。美容
師の仕事は、髪をわざわざ壊して、それでお金をもらっているんだと思う
と「こんな仕事、嫌だなあ」と思ったんです。
それですごく悩んでいたのですが、でも「ああ、それならこれからは自然
派でやればいいんだ」とあるときふと思ったんです。 (後編に続く)
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●編集:宮田生美 木村麻紀 西口聡子/高橋信夫 山崎義高 田中景子
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