今回の特集は、「天職を探せ〜がんばれ新人編〜」です。学生による学生のための「社会起業家シンポジウム」でお会いした、主催者SОL代表の末原弘喜さんにご登場いただきました。イベント内容の充実具合、そしてお話に「これからの日本も捨てたものじゃない」という希望を抱きました。(発行人 宮崎郁子)
宮崎 今大学3年生ですよね。学生団体「SОL(エス・オー・エル)」というのを立ち上げ活動中ですが、どのような活動ですか?
末原
SОLは社会起業を知りたい、目指したいという学生が集まって、社会起業家の活動を広めたり、社会起業を実践するために立ちあげた団体です。主な活動として社会起業家にインタビューをして配信するサイト『Socialcretor's WEB magazine -ソル-』や、社会起業家や社会起業家を目指す学生たちの交流会『SОL.bar』。そして社会起業を目指して活動を始めた、渋谷で行っている廃棄されたビニール傘のリユースプロジェクト『シブカサ』、こちらは運営を始めて約1年、地域の皆様にも受け入れられ店舗数は35店舗、着実に活動を広げつつあります。
まだシステムは整え始めたばかりなので、安定して傘を供給するために電鉄会社から傘を協賛でいただいたり、企業にスポンサーについていただくお願いをしたりなど、これからもっと活動を広げていけるような体制にしていきたいと思っております。そして先日開催したのが社会起業家シンポジウム、Hungry for Mission』です。こちらはたくさんの社会起業家にご支援をいただき、160人の学生が集まるシンポジウムとなりました。
宮崎 先日、その社会起業家のシンポジウムに協賛し、参加したのですが、とてもエキサイティングなイベントでしたね。
末原 そうですね。今回は女性社会起業家の方々に講演をしていただいたのですが、私自身もとてもパワーをいただき、熱い気持ちになりました。終わった後に泣いている方もいらっしゃったり、アンケートでもとても良い評価をいただくことができました。開催して本当に良かったですね。
宮崎 こうした活動を始めようとしたキッカケを教えてください。何でも高校時代は、あまり学校にも行かず、プログラマーとして在宅で稼いでいたんですって?
末原 学校に行っていなかったわけではなかったのですが、帰ったら即パソコンを付けて、寝てご飯を食べる以外はネットの世界に入り浸る毎日でした。最初はネット上でのコミュニケーションやゲームにどっぷりはまっていたのですが、次第にそのシステムの方にも興味が出てきてネットの友人に聞いたり自分で調べたりでプログラムをいじり、たまたま運よく稼ぐことが出来ていた時期もありましたね。
宮崎 稼げていたんだったら、大学に行かなくてもいいし、行ったとしてもプログラマーを仕事にすればよかったんじゃないですか?
末原 一番稼げていた時は月100万程度だったのでそういう手もあったかもしれません。しかしながら「一応」受験を控える身の上であったりバブルのように消えていくビジネスだったので手を引くことにしました。その時は悔しかった部分もありましたが、今思うと正解だったと思います。ネットの世界に入り浸ることで失ったものも多かったんですよね。例えば大学に入ってから気付いたのですが、高校で友人と過ごした楽しい時間というものがそこまでないんですよね。それはネットの世界に入り浸りすぎて、まともなコミュニケーション方法を忘れちゃっていた部分もあります。僕が思うに普通の対面のコミュニケーションで内容の100%が伝わるのだとすると、音声のみの会話は20%程度、そして文字の会話は2%程度なのだと思います。ネットの世界で会話していた時期はその2%で100%の会話をしていたんですよね。だからその時期は非常に言葉は気にするようになったけど、エモーショナルな部分を表に出さない人間に見られていたと思います。
宮崎 転機はいつだったのですか?
末原
私が一番初めに会った社会起業家(Wise-Wiseの佐藤社長)と話してからだと思います。青山学院大学のOB会を佐藤社長のオフィスで行っていた時に偶然参加したのですが、今までに味わったことのないほどの本当に心地よい空間でした。それは人と人とが良い関係で繋がり、楽しい雰囲気に包まれていたからだと思います。普段自分からは話せない方なのですが気付いたら社長に話しかけていて、二階のオープンスペースで二人で話し込んでいました。そこで社会起業家の存在を知りました。その企業が行っていることは発展途上国の人々の生活や環境のことまで考えている優しいビジネスで、人や環境のことについて徹底的に考えているビジネスってカッコイイなと思いました。元々インターネットの世界で活動をしていた時は、目の前のモニターの数字や文字の羅列を追っかけていたりを延々繰り返すだけの世界でした。その時は本当にコミュニケーション能力が足りていなかったなとおもいます。勿論学校には行っていましたし、学校で話す友達はたくさんいましたが、何か自分は友達の輪に深く入り込めなかったんですね。それは自分がうまく物事を伝えられないだけなのに、それを全て友達が理解してくれないからだと責任転嫁をしていたからだと思います。そういう意味では、自分事を通り越して相手のことまで考えて徹底的に行動する佐藤社長の話は衝撃的でした、その時は社会起業という言葉を知りませんでしたが、ぼくはこんな大人を目指したいと思いました。それが社会起業家を目指すきっかけになったのだと思います。
宮崎 卒業したら、本格的に社会企業を目指すのですか?
末原 今あるシブカサを大きく前進させつつ新しいプロジェクトを作り、収益もしっかりと出して持続させていきたいです。今は広告代理店でインターンもしており、そこでビジネスの基本やコミュニケーションを学び取りたいと思っています。ボランティアとビジネス、二足のわらじですすめていき最終的にはそれを融合した社会起業を興すのが理想ですね。
宮崎 広告代理店のスタンスとソーシャルビジネスとは、表面的にはどうあれ、実は真逆の指向性だと思うのですが。
末原 私は人や環境を大事にしたいと思っておりますので、身近なものを幸せにする意味では全く一緒のものだと思っております。仕事の場合はクライアントや消費者、共に働く従業員がそこに関わってきますよね。ボランティアや、恋愛、友人関係、環境にもそれぞれに関係者がいてその人たちを幸せにするには円滑なコミュニケーションを取り真剣に取り組む必要があると思っており、複数の場所に身を置いて、色々な価値観や指向性の中で活動する方がよりおもしろいものが見れるのではないかなと思っております。
宮崎 なぜ社会企業をめざすのですか?
末原 社会起業はとても芸術的なビジネスだからだと思います。お客様が喜ぶものを生産しつつ、自分や社員の暮らしを満たす。その上環境や社会問題に対して貢献をしている。みんなをハッピーにすることができしかも誰にも負担をかけない。世界にいる全てのものと良い関係を築ける、これほど幸せなものもないと思います、だから僕は社会起業を目指したいと思います。
宮崎 末原さんがイメージするなりたい自分とは、どのようなものですか?
末原 コミュニケーション力が高く、日々を楽しく暮らせる自分になることですね。仕事、恋愛、友人関係、家族関係が楽しくて、自然ともより良く繋がれている、それってとても幸せなことだと思います。それを達成するためには相手を感じ取り想うコミュニケーション能力が必要で、僕が高校時代に足りないと思っていたのはこの部分なんだと思います。一日一日を楽しく過ごすために、着実に成長しつつ生きたいですね。
宮崎 これから社会に出ると思いますがその意気込みを。
末原 高校時代にお金を稼いでいたことはありましたが、正直その時は幸運にもお金が入ってきただけで狙ってやったわけではありません。自分の力で稼いだわけではなかったんですよね。ですからこれから社会に出た際には自分の魅力をフルに発揮できるようにして、仕事を当たり前にやっていけるようになりたい。その上でクライアント、消費者、従業員、環境、仲間、家族。自分のまわりにいるみんなが幸せになれるような社会起業をしたい、そう思っています。