今回ご登場いただくのは『きゃりあ・ぷれす』の読者の皆様よくご存知の木村麻紀さんです。かつてはコラボレーション編集スタッフとしてこの「天職を探せ」を取材、執筆もしていただきましたが、現在は雑誌『オルタナ』の立ち上げに関わりながら、木村さんご自身が天職に向かっていると感じていらっしゃるようです。
『オルタナ』はヒトと社会と地球を大事にするビジネス情報誌。3月の創刊に向かってお忙しい毎日を過ごしていらっしゃる木村さんですが、『オルタナ』創刊への思いも含めて、そこに至る経緯について伺いました。
【プロフィール】==========================
木村麻紀さん(きむらまき)
ヒトと社会と地球を大事にするビジネス情報誌
「オルタナ」(2007年3月創刊)副編集長/ジャーナリスト
1971年神奈川県生まれ。
時事通信社記者を経てフリーに。2003年から2006年までドイツと
ニューヨークに滞在。地球環境の持続可能性を重視した国内外のビジネスや
ライフスタイルを分野横断的に取材している。
公式サイト「Poco a Poco ~オルタナティブワールドへようこそ~」
→http://www.pangea.jp/c-press/poco/index.html
【個人サイト・著書】
公式HP http://www.makikimura.com
Blog http://makikimura.blog55.fc2.com/
「ロハス・ワールドリポート -人と環境を大切にする生き方-」
(ソトコト新書、木楽舎)
「ドイツビールおいしさの原点 -バイエルンに学ぶ地産地消-」
(学芸出版社)
宮崎 なるほど。天職に限らず物事のコンセプトなど何でもそうなんですが、その状態に実態として近づけば近づくほどあえて言う必要がなくなりますね。
木村 そうですね。そうかもしれません。
宮崎 今日は『オルタナ』をご紹介いただきながら、そんな木村さんのおさらいというか全体像をあらためて伺いたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。さて、まずどこからお話を伺いましょうか。やはり木村さんご自身が「こんな仕事をしたいなぁ」と思われた頃からお話しいただければと思います。
木村 進学が迫っていた頃ですから高校3年生だったと思います。当時私は世界史をとっていたのですが、だいたい歴史の授業って、これから近代に入るという時代で終わってしまうことがよくあるじゃないですか。
でも、私が教わった先生は生徒が世界史を取った以上は現代までとことん付き合いましょうと、独自に教材を作って授業をすすめたりするユニークな先生だったんです。
ちょうど私が高校3年生の頃は、旧東ヨーロッパ諸国が共産主義を放棄して冷戦が終わりを迎えようとしていた時代。私たちが世界史を机に向かって勉強している間に日々国境線が変わる、国がどんどんなくなっていくんですね。
宮崎 学んだことがそこでつながっているわけですね。
木村 そうそう、そうです。まさにライブで学んでいく・・・という感じ。
そんな世界のダイナミズムを今度は自分自身が取材できるようになりたいなと思って、積極的に記者になることをイメージするようになりました。
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◆研究のテーマは世論の形成
そして人生のパートナーとの出会いもあった大学時代
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宮崎 大学は早稲田大学の政経学部に入学なさったんですよね。記者になるにはやはり専攻は政治経済かなと思ったわけですか。
木村 それはあんまりないですね。理由としてあげるなら第二外国語です。どこの大学もそうですが、大学に行ったらとにかく第二外国語をやらなければならないということがありますよね。ドイツ語とかフランス語とかが当時はメジャーだったんですけど、どちらも始めはかなり難しいと言われていたので、なんとなくそれはいやだな?って思ったんです。
「いやぁ~困ったなぁ~」と思っていたら、フラメンコを習っている知人から、スペイン語はローマ字のように読めばいいのですごく簡単だということを聞いたんですね。だったらスペイン語をやろうと、しかもスペイン語って世界の中で英語の次に多くの人たちの間で話されている言語ですし・・。
早稲田の中でもスペイン語を教えているのが政経学部と文学部だけだったんです。たまたま受かったということもあってそれでいいかな・・・って(笑)
宮崎 へぇ、そういうことだったんですね(笑)。ところで木村さんは英語はバリバリですよね。それはどうやって習得なさったんですか?
木村 小学校4年生から約10年間、イギリス人の方のお宅で個人レッスンを受けていました。イギリスには、英語を第二外国語としている外国人に英語だけで英語を教えるという資格があるそうなんですね。私が教わった先生もその資格を持っている方だったので、とにかく英語でしか話してこないし、話すこともできないんです。「おはよう」とか「こんにちは」とかいう日本語さえないんですよ。さすがに最初の頃は「いやだな~、でも日本語しゃべったら怒られそうだしな~」って感じでした。
でも結果としては、英語を習う上でそのことがとてもよかったのだと思います。
宮崎 なるほど、木村さんの場合は日本に住んでいるので、日本語というのは、当り前ですが自動的に話せたわけですよね。そこに英語だけの教育が入ってくるという理想的な学習方法だったわけですね。
木村 えぇ、そうですね。今となっては、習わせてくれた親に感謝しています。
宮崎 さて、大学の話にもどりますが、第2外国語の件以外に大学で勉強したいテーマは何だったんですか?
木村 やはり興味があったのはマスコミュニケーションとかジャーナリズムでしたね。ゼミの先生も世論調査や世論形成を研究なさっている方でしたから「世論調査とはどういうことか」「世論とはいったいどうやって形成されていくのか」ということを勉強しました。
宮崎 卒論のテーマは何だったんですか?
木村 若年層の政治参加に関することでした。若年層の参加率が低いのは政治に対する関心が薄いからという、まぁ当たり前の結論しかないんですが、何でだろうって当時は思ったわけです。そこで、世論の状況と若者の投票行動にどういった関係があるのかを考えました。
宮崎 どうやって改善するかということもお考えになったんですか?
木村 はい。やはり硬直的な選挙制度を変えたいと思いましたので、そんなことを書きました。
宮崎 なるほど。ところで、今のだんな様とはその同じ大学で知り合われたんですよね。
木村 ええ、そうです。同じ学部で同級生です。実際には英語のクラスが一緒ということだっただけなんですけど、私にとっての大学生活は確かに学ぶための場でもあったのですが、人生のパートナーと出会うための大切な場でもあったんですね(笑)。
宮崎 それはそれは・・・(笑)。そして就職ということになるのですが、やはりマスコミ関係を希望なさったんですか?
木村 はい。私は就職する前に交換留学でアメリカに行ったので、1年間留年して卒業した形になりました。でも、私が就職活動をする頃は、バブル崩壊で採用状況がとても厳しくて…。私が入った会社のその年の求人数って、1年前の半分だったんですよ。
もともとはテレビ志向で、テレビの番組の制作会社からも内定をいただいたりしたんですが、やはり海外で仕事ができる可能性がたくさんある通信社に入ることにしました。それに、就職活動を始めてみると書くほうが評価されることが多くなってましたから。
朝日新聞など大手の新聞社も希望しましたが、いわゆるニュースの問屋といわれている通信社で、お金をいただきながらいろいろな経験ができるのもいいかなって・・・。
結果としては良い選択だったと思っています。
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◆時事通信社の記者時代に遭遇した様々な出来事
気がつけば無意識の中に形成されていたLOHAS的な価値観
☆記者という仕事のおもしろさと恐さを知った入社からの2年間
☆都会を離れて自然と暮そうとする人たちに感じた時代の予兆
☆LOHASという言葉との出合い。フリーのジャーナリストへ
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☆記者という仕事のおもしろさと恐さを知った入社からの2年間・・・
宮崎 いよいよ実社会で記者としてのお仕事がはじまったわけですが、木村さんがご自身の本でも書いていらっしゃる「ワークライフブレンド」つまり、仕事と私生活が限りなく近づいている状況というのは、いつ頃から意識なさるようになったんですか?
木村 入ったばかりの頃はやることがいっぱいあって、とにかく没頭していましたからあまり意識していませんでしたね。 ただ、仕事がカタッと終わって、その後家に帰ったら別人・・いうようなことはいやだなとはいつも思ってました。そういうことのないように、むしろそういうことから自由な働き方をしたいとは以前から思っていました。
実は「ワークライフブレンド」に行き着く前に、まず「ワークライフバランス」について考えさせられる出来事がありました。入社2年目、同じ部署の先輩記者が過労で亡くなったんです。
会社は比較的真摯に対処したので、遺族の方ともめるようなことはなかったのですが、亡くなった人はもう戻ってはこないということで「私がやっているこの仕事は死ぬ仕事なんだ」って思いました。会社も周りの人も守ってくれない。だから「自分でやりたい仕事というのは、自分で決めて自分でつくっていかないといけないんだな」って漠然とですけど思うようになりました。
ただその頃には仕事が本格的にできるようになっていて面白くて仕方がないという状況でしたから、暫くの間は自分の心の中にしまっておくという感じでした。
宮崎 なるほど。その頃はどういった取材をなさっていたのですか?
木村 重工業系です。船やらごみ焼却炉やら原子力発電プラントやらをつくっている企業群です。
宮崎 へぇ、一般的には男社会のイメージがありますが、女性が担当するというのは珍しかったんでしょうね。
木村 そうですね。初めてのケースだということでした。ただ私にとってはとてもよかったと思っています。というのは、造船なんて新商品がどんどん出るようなこともないので、いろいろな方からじっくり取材ができて、きちんと書くことができたんですね。華々しく一面を飾るようなニュースはありませんでしたが、日本の発展を支えた産業を改めて認識することができました。
☆地方都市は日本社会の縮図、その全体を対象にできる地方記者になって
宮崎 入社から2年間東京で勤務なさった後長野支局に行かれたんですね。
木村 そうです。長野オリンピックが開かれるというので自分から申し出ました。他の新聞社ではすでに地方支局に女性記者がいたんですが、時事通信社では人数が少ないこともあって、地方に女性記者を送るということがなかったんですね。
宮崎 じゃ第1号ですか?
木村 いえ、実際には同期の女性が半年早く山梨県の甲府に出ています。時事通信社としては、私たちを境に女性記者も普通に地方支局に送るようになりました。
宮崎 やはり東京で記者をするのと地方で記者をするのとでは違いますか?
木村 違いますね。新聞の紙面でいうと分かりやすいんですが、社会面だとか経済面だとかがあって、さらに分野や業種があって、東京での仕事だとそれぞれに担当がいるわけです。でも、地方の場合は一人の記者が「殺人事件から選挙まで」何でもやるって感じです。
東京での仕事はある意味、その分野や業界に関して詳しければいいのですが、地方の場合は分野ではなくその土地のことだったら何でも知っていなければなりません。政治から産業、人々の暮らしまで、もう何でもです。地方は日本社会全体の縮図ですから、警察や裁判から行政の運営のされ方や税制まで、すべてをきちんと勉強させられます。
そこで取材した記事というのは、全国の新聞やテレビ局などに配信されます。もちろん長野県のローカル紙にも配信されますので、そこの記者が書いていない事柄をスクープして紙面に掲載させる、というのは気分がいいものです。
私が長野にいた頃、ちょうど毒物の事件が日本中を騒がせていた時期で、長野でも青酸カリ入りウーロン茶がスーパーに置かれ、それを飲んでしまった人が亡くなったという事件があったんですね。大騒ぎになっている事件というのは、情報の質がどうであれとにかく新しい情報を取り上げるという体質がメディアにはありますので、ローカル紙が知らない情報を書いたところ、社会面で結構大きく掲載されました。今でもちょっと自慢のスクープですね(笑)。
宮崎 なるほど・・・。長野オリンピックの方はどうでしたか?
木村 オリンピックというのはすごく大きなイベントなので、報道についてもこの時期にはこういう取材をするといったような決められたスタイルのようなものがあるんですね。そういった記者としての基本的な動作が身についたのは勉強になりましたし、何が起きるか分からないという生ニュースの取材ならではの興奮みたいなものも味わうことができました。
長野では日本選手は活躍したんですよね。途中からは金メダルラッシュになってきて・・・。日本全体はバブルが崩壊してから後ろ向きのニュースばかりが目立っていましたから、東京の編集デスクからは長野の明るいニュースをどんどん出してくれと言われていました。今にして思うと、スポーツイベントのニュースが社会的にも重要な意味を持つようになったのは、長野オリンピックが一つの大きな契機だったようにも思われます。
☆都会を離れて自然と暮そうとする人たちに感じた時代の予兆・・・
宮崎 長野には何年いらしたことになるんですか?
木村 3年です。
宮崎 そうですか。じゃぁ他にもいろいろな経験をなさったわけですね。
木村 そうですね。毒物事件やオリンピックなど全国紙を騒がせるようなこともあったはあったけど、何といっても地方ですから常に全国ニュースになるようなことが起きる訳でもないんです。むしろ自分で題材を探さなければならないわけです。「さてどうしたもんかなぁ~」っていろいろ考えなければならないのですが、時事通信社は他の大手メディアと違って教育関係者向けだとか農業関係者向けに専門の媒体を持っていて、それはそれなりにけっこう書かなければならないことがありました。当時、きのこ類のがん予防効果が欧米で注目され始めていたので、世界に市場を拡大しようと真剣に考えている農協の取り組みなどを取材し、こうした媒体に記事を書いてもいました。
そんな時、定年後Iターン、Uターンして農業をしたい人たちをサポートする取り組みを取材する機会があったんです。当時はまだまだ盛んではなかったんですが、今話題になっている「定年帰農」みたいなことですね。
実際には、仕事をきっぱりやめて農業を始めたいという方や、お嬢さんがアトピーで都会では暮せないから長野に移り住むとか、いろいろな参加者がいました。そんな方たちと一緒に農業体験をして記事を書いたりしているうちに、農業そのものというより、現代の都会の生活のおかしさに気づいた人たちが行動を起こしてみようとすることに対して「なるほどなあ」と思ったのです。
まだまだブレークはしていないけど、これから先はこんな傾向になるのかなと思って記事にしたら、結構反響を呼びました。
宮崎 そういう人たちにとっては、長野という所は気候的にも立地的にもちょうどよい場所なのかもしれませんね。
木村 そうですね。外というか長野以外の社会ともやりとりがあって、外に開かれていながらも自然環境的には田舎というか。
実は大学のときに留学したのがアメリカのオレゴン州だったんですが、長野によく似ているんです。山に抱かれていて気候もカラッとしていて、冬は寒くなるけど雪が降り続けるほどの寒さでもなく、都会的な機能はありながら田舎で・・。そんな土地の雰囲気が同じなんですよね。
宮崎 長野での生活っていうのはやはり木村さんにとって来るべきところに来たということですね。
木村 えぇそうだと思います。もともと田舎に憧れていたということもあますが、私にとって長野での体験がなければ、ロハス的な価値観をテーマにしている今の仕事のようなカタチはなかったと思います。
☆LOHASという言葉との出合い。フリーのジャーナリストへ・・・
宮崎 21世紀というか、2000年ミレニアムは長野だったんですか?
木村 東京に戻ったのがちょうど2000年の3月ですね。
宮崎 じゃぁその前の97年から3年間長野にいらしたということですね。失われた10年といわれていた時代のまさに失われきった最後の3年を木村さんは長野にいらして、なんだか次に出てくる芽を感じていたということですね。
木村 そうですね。その後東京に戻ってからは海外の経済ニュースを扱う部署に就くことになったんです。時差があるので基本的には24時間勤務で交代制なんですよ。そうすると朝すごく早い時間だとか、夜の出社になったりして逆に昼間の時間が空くわけです。その自由な時間に長野で感じた次にくる芽、それが何なんだろうということを知るために、これと思った人にどんどん会って取材するようなことをずっとしていました。
仕事上、一応経済に関係することでないとまずかったんですけどね(笑)。
でもそのおかげで、環境とか社会貢献に積極的で、しかもしっかり利益を上げている企業や、またその企業に対して投資するような社会的責任投資、エコファンドといった社会経済の新しいシステムにも触れることができました。
宮崎 そのあたりで私たちとも会ったんですね。2002年ぐらいですか?
木村 そうですね。その頃には「なんだか今までの生き方や社会のあり方ではまずいぞ」ということを、いろいろな立場の方がいろいろな風に思っているということが非常によくわかってきて、本当にそれがいろんな分野で起きているなということを感じたので、これはちょっとまとまった現象だなということはだんだんだんだん、どんどんどんどんはっきりしてきたという感じでしたね(笑)。「LOHAS(ロハス)」という言葉を知ったのも、その頃です。
自分が98年ぐらいから何かあるなと思ってきたものを、全部拾い集めたらこれだったんだなっていうことがしみじみとわかったんですね。
宮崎 それで腑に落ちた・・・ということですね。
木村 そうですね。まさに落ちましたね。
宮崎 先に現象的なものを感じられいて、それがどういう塊なのかということが、ああこういう塊だったのねということですね。たぶん木村さんの周りの方たちというのは、皆そうだと思うんですが、ロハスとかいう前に自分たちの仕事の中で思っていたことが、後から塊とし出てきたということだと思うんですね。
木村 そうですね、おっしゃるとおりだと思います。なんとなく感じていたことが言葉を与えられて全体像が見えてきた。ただ私の場合、全体像を上から撫でるようにしか見ていなかったので、それぞれの分野で一体何が起こっているんだろうと、個別の分野でもっと深めたいという思いがますます強くなりましたね。
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◆好奇心が赴くままに取材した海外での滞在期間
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宮崎 それで次のステップを踏むわけですね。
木村 そうですね。契機としては夫の留学なんですが。その場所がたまたまドイツだったんです。そういう機会がなかったとしても、ドイツとかヨーロッパというのはロハスについてかなり積極的なケースが多いところなので1回は見ておきたいという思いはあったんですね。でも行くとしたら会社を辞めてから行くしかないわけですから、不安というかなかなか決意できるようなことではなかったんですが、いよいよ背中を押されたという感じでした。
全く別の場所だったら、勝手に行ってきてということになったと思いますが(笑)。
宮崎 こんなことになるなら大学時代にドイツ語やっとけばよかったということにもなるのかな。
木村 アハッ、ホントですね(笑)
宮崎 それで、実際にドイツのミュンヘンで暮らしながら取材をし、あるいは木村さんご自身が、ロハス的な社会を実体験することができたということですね。
木村 そうですね。街全体が大都市的な機能を持ちながらも、人々がゆったり暮していけるような景観だとか交通システムだとかを実生活として体験することができました。
宮崎 ニューヨークにはその間に1年間行かれたんですが、やはりドイツと同じように1回は行ってみたいと思っていらしたんですか?
木村 えぇ、思っていましたね。とはいっても先立つものが必要ですので(笑)、フルブライト奨学金を申し込むことにしたんです。中堅のジャーナルストが自分の専門的なテーマを研究したりできるプログラムなんですが、会社を辞めるにもかかわらず当時の上司が快く推薦状を書いて下さり、その
宮崎 テーマとして出されたのはやはり「LOHAS」だったんですか?
木村 えぇ、ロハスビジネスというか、いろいろな世界で起こっている環境とか健康に配慮しながら暮せるような、そんなライフスタイルをサポートするビジネスに一体どういうものがあるのかについて、ニューヨークを拠点にアメリカ国内いろいろなところに行って取材しました。
宮崎 木村さんの本で紹介なさっているアメリカの雑誌『ウォースワイル』は、ニューヨークにいらした時に創刊した雑誌なんですか?
木村 そうですね。私がちょうどコロンビア大学のビジネススクールにいた時に創刊しました。
現在は『モットー』( http://www.whatsyourmotto.com/ )という名前になっているのですが、キャッチフレーズがワークウィズパーパス、パッション、プロフィットなんですね。情熱だけでも長続きしない、お金がいくらあっても不満なものは不満、情熱が持てることを仕事にしてお金を稼ごう。そういう働き方に価値があるんじゃないのって、そのことを「モットー」にしようよというメッセージですね。
私が通っていたビジネススクールは、どうせ就職をしたり、起業をしたりするのであれば、自分が大切にする価値観に合ったことをやってみようと目指す人たちの集まりでした。エネルギー問題や環境破壊といった社会問題をビジネスを通じて解決するための手法を学びたいと集まった人たちでしたから、皆興味深々でしたね。
私自身、サスティナブルな方向を志向する動きが広がると人々の働き方がどのように変わるのかという点に興味があって、日本でも欧米でも取材してきたんですが、皆さん仕事と私生活の区切りをしない朗らかで”明るい仕事人間”って感じなんですよ。
その分野を極めていらっしゃる方たちなので、当然のことながら労働時間的には長いんですが、仕事をしている状況がそのまま個人としての価値観、つまり私生活につながっているんです。
宮崎 「ワークライフブレンド」ですね。
木村 そう、そう、そうです。もちろんアメリカでもすでにロハス的な働き方をよしとする価値観はありましたが、あるべきワークスタイルとして表現されたのはその雑誌が初めてだったんですね。しかも、創刊に携わったメンバーはウォールストリートジャーナルの記者あがりのジャーナリストたちでしたから、本当に画期的なことなのです。
宮崎 アメリカで発行された元祖ロハス本でいわれている、アメリカの国民の3分の1の人がロハス的なライフスタイルを送っているというのは、私にとってはちょっと驚きでした。ロハスの本質って日本人的には割と元々持っていた感覚なんですが、欧米的な価値感としてはまさに画期的、オルタナティブですものね。
木村 そうですよね。日本には古来というか今でもあるものですものね。むしろ今まであったことが、はじめて言葉を与えられてカタチが見えたということだと思います。
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◆これからのLOHASと雑誌『オルタナ』に賭ける思い
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宮崎 ただ、「LOHAS」という言葉の広がりはファッション的というかはやり言葉としてやはり消費されていくような気がしますが。
木村 そうですね。予想通り、言葉そのものはすでに消費されていますよね。でもそれとは逆に、全てにわたってこれからの社会はだんだん LOHAS的な方向へ向かっていくということが、より鮮明になってきていると思います。
宮崎 えぇ、それはそうですね。企業にしても、環境について語らないとどうにもならなというところはありますね。それが本当に環境のことを考えているのか、ただ自分達のことをアピールしたいからそこははずせないというレベルなのかはいろいろあると思いますが。
さて、海外での滞在はニューヨークからもう一度ドイツに戻られたわけですよね。
木村 そうです。最後の1年間もう一度ドイツに行って日本に帰ってきました。ただ、最後の一年はドイツの生活を楽しむというより、本を書くのに外に出歩く間もなく受験生のように机にしがみついていた生活でしたけどね(笑)。
宮崎 今日の話の中でも出てきた『ロハス・ワールドリポート』と『ドイツビールのおいしさの原点』ですね。反響はどうですか?
木村 じりじり上がってきていると聞いています。余談ですけど『ロハス・ワールドリポート』はアマゾンでの販売が品薄になっていて、定価よりも高いユーズド(中古本)が出てきていますね。
宮崎 へぇ~そうですか。絶版でもないのに面白い現象ですね。いずれにしても、ロハスの基本が書いてある本としてロングセラーになるのでしょうね。
木村 えぇ、これまでバラバラに語られていたことが、ロハスという観点から1つにまとめることができたという意味で意義深かったのではないかと思っています。
今日お話しながら再確認したのですが、私の場合、だいたい3年から4年ぐらい置きで次の展開があるんです。ちょうど海外での3年間では、まだまだ程遠いものではありますがやりたかったことが少しづつはっきりしてきました。自分の中での満足度はとても高いです。
宮崎 そしていよいよ『オルタナ』の創刊ですね。日本に戻る時には『オルタナ』の副編集長になることは決まっていたのですか?
木村 そうですね、ほぼ。ドイツにいた時に「ユナイテッドフィーチャーhttp://www.ufpress.jp/ )という海外の日本人ジャーナリストのネットワークに参加するようになって、その代表を務めているのが『オルタナ』の編集長の森なんですが、彼を中心にして去年の初めぐらいから何かやりたいよねという話をしていたんです。
何をというわけではなかったんですが、いろいろ話しているうちにフリーペーパーを出そうということになり、去年の夏に彼から具体的な雑誌のコンセプトが届きました。それが「ヒトと社会と地球を大事にするビジネス情報誌」ということだったんですね。つまり、利益一辺倒で大量生産するとか、人を人とも思わないような働き方を強いるようなビジネスのあり方をよしとするのではなく、従業員を大切にして環境に配慮しながら、それでも利益を出していくサスティナブルな会社、ビジネスのあり方ってあるよねっということを発信したいと彼は考えたわけです。それだったら一緒にやりたいなと思って、お互いにまだ顔も見ていない状況ながら副編集長を引き受けることにしたんです。
宮崎 編集長の森さんもジャーナリストのようですが、ビジネスがご専門だったんですか?
木村 そうですね。日本経済新聞社で約20年間記者をしていました。彼もかつては、ビジネスというのは右肩上がりで成長していずれは株式上場するといった価値観に対して、あまり疑問は持っていなかったようです。
それがどうして『オルタナ』のような雑誌を出したいと考えるようになったかというと、やはり記者時代のいろいろな体験によると思うのですが、その中でも大きな転機になったのが、ロサンゼルスでの特派員時代にパタゴニアという企業を取材したことだったそうです。
パタゴニアというのは、オーガニックコットンを使ったり、ペットボトルを再生した素材からフリースをつくったりしているアウトドアアパレルメーカーとして、今では世界的に有名な企業です。ユニークなのは、創業時から「地球が死んだら我々のビジネスもあり得ない」という発想に立って事業をしているところなんです。そのパタゴニアの取材記事を日本の本社に送ったところ、編集デスクは「なぜ普通のアパレルメーカーが、環境やら地球温暖化やらと言って募金を呼びかけたり寄付をしたりしなければならないのか」などと言って、最初は掲載してくれなかったそうです。半年後になってようやく掲載されたようですが、日本を代表する経済メディアなのに、ビジネスが社会問題にどう関わるのかというテーマが理解されないという状況に、彼自身何かを感じたんだと思います。
宮崎 なるほど、ロハスという価値観をビジネスを通じて伝えようとする木村さんのテーマと合致していたわけですね。
木村 そうですね。『オルタナ』は彼の呼びかけによって、いろいろな賛同者を集めて創刊しますので、もちろん私自身の媒体ではありませんが、いつか自分のお皿というか自分の媒体を持ちたいと思っていましたので、限りなく自分のお皿に近いというか、扱いたいテーマはまさに直球ど真ん中かなというということは感じます。
宮崎 3月の創刊までもう少しですが、木村さんのお話を伺っていてますます創刊が楽しみになりました。さて、最後になりましたが、今日は「天職を探せ」というテーマでお話を伺っています。読者の皆さんに向けてそのあたりの木村さんのお考えをお聞きできればと思いますが。
木村 私の場合は天職を探すというより、その時その時の流れに乗ってあらためて振り返った結果として、なるほど良かったなということになっているんですね。天職が何かというより、結果として天職と思える状態になっています。これはとても大切なことだと思います。
「天職」と言い切ってしまうと、目指すことと達成できない自分との間にギャップを感じがちです。そうなるとどうしてもマイナス志向に陥ってしまう。だから、たとえドンピシャということでなくても、当たらずとも遠からずということであれば、まずはその土俵に乗って挑戦してみることが必要だと思うのです。土俵にさえ乗っていれば、きっと何かがつかめると言いたいですね。
人それぞれ、いろんな歩みがあります。たとえ大きなものではなくても、自分の周りにある小さなきっかけの中から自分がやりたいことの「芽」を見つけようとする気持ちが大切かと思います。その芽はどんどん変化するし、その変化は終わらないし、もしかすると全然違ったものになるのかもしれません。天職を見つけ出そうとするのではなく、今この時の状態が天職的なのかどうかを常に意識していれば良いと思います。それぞれのペースでその時々のライフスタイルに沿って気持ちよく積み重ねていくだけです。
宮崎 なるほど、このシリーズに出ていただく方皆さんがそうなんですが、木村さんもあえて天職を探したりした訳ではなく、ある流れに乗りながら、日々自分が納得できる無理のない選択を積み重ねできた結果、天職的状況に近づいているということですね。「ワークライフブレンド」ができている状態が天職的な状態といえそうですね。
今日は本当に長時間ありがとうございました。『オルタナ』の成功を期待しております。
*****『オルタナ』について、木村麻紀さんから皆さんへ******
皆さん、最後までお読みくださりありがとうございました!
ヒトと社会と地球を大事にするビジネス情報誌「オルタナ」は、来月15日にいよいよ創刊します。 創刊号では、環境経営で有名な米アウトドア衣料のパタゴニアや化粧品のアヴェダ、英マークス&スペンサーなど「日米欧のモデル企業50社」のリストやルポを特集するほか、オルタナティブな視点を盛り込んだブランドやマーケティングなどのビジネス情報、ライフスタイル情報、映画や音楽などカルチャー情報を満載します。
環境や健康、CSRの記事に興味がありそうなご友人がおられましたら、オルタナをぜひおすすめください。オルタナの究極の使命は、地球環境や人々の健康に配慮しながら共存共栄できる社会を望むコミュニティをつくること。
皆さん、どうぞお力を貸してください!
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