2015.12.10発行 vol.388
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■INDEX■

発行人の気まぐれコラム 4

◇ next・近代。脱・明治

その15 GDP・経済成長神話からの脱却。

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マネーやビジネスのお話の時にも書きましたが、マネーやビジネスもGDP・経済成長も、もちろん私たちの長期的な安心や安全、そして幸せのための「手段」でしかありません。
GDP・経済成長それ自体を目標とするのは全く愚かなことです。

しかも、GDP・経済成長というのは、すべてマネーによって計られる指標です。
つまり、「手段」を指標とする「手段」、二重の手段でしかないのです。

8年程前この「きゃりあ・ぷれす」でリポートしたブータンのGNHといった概念や、安心感、幸せ度の安定的な継続こそが私たちの求めるものです。

「GNH(国民総幸福)を国の指標とする小国ブータンの壮大な試み」
http://www.pangea.jp/c-press/melmaga/data/080122.html

ただ、これを計ることほど難しいことはありません。
それは数値としてなかなか表せないものですし、それぞれの国やエリアによって異なるところもあるものです。何でも数値にできなければなきも同じ、価値はひとつでそれがグローバルスタンダードになるべきだ、という近代の発想そのものを変える必要があります。

たとえば、落とし物を交番に届けたり、自分のベランダや庭でつくった花や野菜などを近所の人に差し上げても、自分の家では多すぎる頂き物などをお互いにやり取りしても、GDPは増えません。郊外や農林漁業エリアで野菜や魚介などを自給しても、GDPは増えません。
もちろん被災地で自主的支援活動をしても、GDPは増えません。

そうした行為は、もしかして私たちの美点なのではないでしょうか。
そのすべては、何でもマネーを必要とする社会よりずっと望ましく麗しいことなのではないでしょうか。そういうことが増えればいいに決まっていませんか? ボランティアとかNPOとか、わざわざ外国語にしなくても、それは私たちの昔から培った自然な行為です。

でもマネーによって数値にならなければ、なきも同じなんですか? そいう発想がGDP・経済成長それ自体を目標とするスタンスなのです。それは私たちの幸せやあるべき社会なんてどうでもいいという訳のわからない考えを示すものであることは明確です。
そんな政権、ちょっと考えれば選ばれるはずはないと確信しています。

また、何でも競争力アップ、国際競争に勝つみたいな目標が政権や企業から発せられていますが、実は競争させなくては怠けてしまう、働くことを神からの罰としての苦しみとしかとらえられない一神教起源の人々の尻を叩く手法でしかないのではないでしょうか。
何度も折に触れて書いていますが、私たちにとって「働く」とはお金を稼ぐ、あるいは生きるためにしかたがない苦難という位置づけでは決してないと思います。
私たちにとって「働く」とは人の役に立つ、人から感謝される、仲間と喜びを分かち合う、自分の存在を社会に認めてもらうという、自分の存在にとってなくてはならないことなのです。その結果として金銭を含んだ果実や支援が得られるのです。

もちろん原始時代からの歴史の中で、生存のためどんなに苦しくても絶対必要な活動が働くということだった訳ですが、でも少しずつ余裕ができていき、文化的に成熟していく中で、この「ちっぽけな、けれども自然に恵まれた列島」に住む幸運な私たちだからこそ得ることができた精神性なのかもしれません。

もちろんこの列島に住む人でも食うため、お金を稼ぐためという要素は、決して小さくはないとは思いますが、せっかく長い歴史の中で培った「働くこと」に対する素晴らしい感覚が、過剰な競争とリスクを強いられることで削り取られてしまっていると思うのです。

今、働いている人も仕事がない人もどちらも不幸なのは、そんな世の中だからではないかと思います。
私たちは、競争をしなくても、お尻を叩かれなくても、一生懸命働き、常に工夫や改善を進めていける、もしかしたら世界でも希有な存在なのではないでしょうか。そこに、グローバルスタンダードの際限のない競争を持ち込むことは、働く人を不幸にするだけなのだと感じます。「労働」という言葉には、強いられた労苦というニュアンスが拭えません。「働くこと」と「労働」は含まれるニュアンスが違う、と私には思えます。そういう意味で、資本家と労働者という考え方にも、私は組しません。マネー資本主義も共産主義も、私たちには全然フィットしないと思うのです。

江戸時代の「士農工商」(そして最後に「金貸し」)というランク付け、「士」についてはちょっとはずすとして、「農工商金貸し」というのは社会で尊重されるべき存在の順番としては正しいと思います。「農」には農林漁業が含まれ、「工」にはあらゆる技術者、研究者、職人、芸術家や芸人も含まれると思います。
残念ながら今の尊重のランク付けは全く逆になってしまっているように思います。もちろん江戸時代だって実際に儲けていたのは「金貸し商工農」の順ではあったでしょうが、「金儲け」に対する社会としての位置づけ設定は、江戸時代の方が正しいと思うのです。

■ しっかり方向を定めて技術開発を進めれば、心配しなくても安定成長はできる。

9月に発信した「next・近代。脱・明治。」その5の後半に書いたように、「自然エネルギー活用」と「原発の廃炉」に焦点を当てた科学と技術の実践的な研究開発に全力を注げば、日本はくだらないマネーゲームやつぶし合いの過当競争にさらされることなく、世界に評価され、安定成長は可能なはずです。
http://www.pangea.jp/c-press/melmaga/data/150902.html
たとえGDPにカウントされない麗しき日常が活発化しても。

さらに、その方向で「別品」な国になれば、これも以前の号、その11に書いたような「セイフヘイブン」としての一層のマネー流入だって十分想定できます。
http://www.pangea.jp/c-press/melmaga/data/151112.html
自分たちも、他の国の人々にとっても安心・安全な「別品」で美しく、安心できる場であることが、結果的に経済の安定成長にだってつながるのです。

ところが、今進行している政権の方向は真逆です。ムリムリなこと、目先だけですぐ馬脚を表すとんでもない成長戦略とやらに、私たちの税金は湯水のように投入され、さらに大企業は逃げてしまうので逃げられない小企業や生活者から金をむしり取ろうとしているのが見え見えです。
そして目先の選挙の人気取りのために税金をバラまく。あたかも麻薬を与えて思考をマヒさせようとするように。
自国の人間に「アヘン戦争」を仕掛けているようなものといっても過言ではありません。

本当に、今、何とかしなげればなりません!!
少なくとも今の大間違いな方向性は止めなければならない。
そしてましな方向性なら、役人のサボタージュや嫌がらせを考慮に入れて、すぐ良くならなくても少し長い目で見ることも必要です。

まずは、「GDP・経済成長神話」という洗脳からの脱却が必要です。私たちは、安心な社会、より幸せを感じられる社会を、今こそ目指したいと思います。

次号では、「別品」な社会を目指すためのキーワードをもう少し考えていきたいと思います。

 

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2015年12月10日 『きゃりあ・ぷれす』発行人 宮崎郁子

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