2015.11.19発行 vol.385
--------------------------------------------------------------------
■INDEX■
発行人の気まぐれコラム 4
前号で、すでにこれまでお話している「食料の自給率を高めること」「原発から脱却し、自然エネルギーへの方向性の大シフト」「これからの科学」そして「マネーとビジネス」
にプラスして、[私がイメージする「別品」で安心できる社会の方向性]を列挙してみました。
今号では、その1番目と2番目「『めざせ大都市』から『自分が生まれた場所の再評価・活用』へ」と「各地域ごとの独自性、自立性を高める」について書いてみたいと思います。
以前の号「next・近代。脱・明治。その9」で、国内市場の縮小は劇的に進む就業人口の減少によるものという藻谷浩介氏の分析をご紹介しました。
http://www.pangea.jp/c-press/melmaga/data/151027.html
私はその指摘に大いに納得するのですが、そうであれば今後、成長期と同じことをしても、少なくとも国内市場の急激な縮小は全く止められないし、働き手の努力は全く報われない状況は続いてしまうということになります。
これからの働き方として、高度成長を支えるために地方から大都市へ労働力を移動させて集中させるというこれまでの常識も通用しないということになりそうです。
すでに現実は、地方から仕事を求めて集まる人々に、大都市は安心できる雇用、必要な対価を提供しなくなってしまっています。
企業は過剰な競争や株価上昇狙いの内部留保拡大プレッシャーなど、そして非正規労働者の増大をサポートする政策によって、人件費を削減することに邁進しています。
そのこと自体は、地方出身者ももともとの大都市居住者も同じ状況なのですが、大きく異なるのが生活するのに必要な経費です。この状況は、大学や専門学校などの期間も同様です。
大都市居住者には、家賃や食費などの生活するのに必要な経費を、実家に住むという方法で節約またはゼロにする選択肢があるということが、大都市で地方出身者がもともと背負わされている大きなハンデなのではないでしょうか。
そんな状況が、これからますます進むとすれば、必然的に日本全国に生まれた人々の方向性は、「めざせ大都市」から「自分が生まれた場所の再評価・活用」へとなるのは自然なことではないでしょうか。
これからは、その方がずっと経済的なリスクが小さいということです。
さらに地方出身の女性にとって(本当は女性だけの問題ではないですが)は、別の大きなハンデがあります。いくら「女性活躍」とか「目指せ出生数1.8人」とか言ったところで、言っていることと政権がやっていることは全く真逆です。
大都市圏出身者は、子供が生まれても親に面倒をみてもらいながら、働き続けることが可能な場合が多いと思います。実際私の友人たちも、仕事を続ける人は、そうしていました。
一方地方出身者には、その選択肢はありません。
ところがもし地元であれば、親の力を借りることもできる上、通勤時間も短くなるでしょうから、さらに子育てをしながら仕事を続けることがしやすくなります。また、さらに自営という形をとれば、仕事と子育ての完全分離をする必要もありません。
江戸時代には、地方でも都市でも、そんなことは当たり前でした。たとえば街部で長屋に住んでいれば、差配人や世話やきおばさんが何となく面倒を見たり、ワルサをすれば叱ってくれたりしていたと思います。そういう状況なら子供を構えずに生むことも可能でしょう。だいたい専業主婦なんて、武家か大商家にしかいなかったのです。そして、そういう家では跡継ぎが絶対必要ですから、当然子供は生まれます。そこには何とはなしの安心と必然性があったのです。自然なものがあったのです。
今の都市生活では、働きながら子供を産み育てるのは本当に大変です。
大都市でムリヤリそれをさせようとすると、保育所を増やすのに四苦八苦して税金を投入しなければなりません。そして大企業ならいざ知らず、中小企業では、長い通勤時間や発熱など急な事情を考慮すればサポートの余剰人員が必要になり、人件費が重荷になります。
出産や子育て支援に助成金を出すとなれば、またまた税金を投入しなければなりません。
そうやってムリムリを重ねても、なかなか子供を生もうという自然な機運は生まれません。子育ては大変ですが、楽しいことも面白いこともあります。その楽しさが本質的なものだと思いますが、現代の都市生活には、人工的な楽しいこと面白いことがほかにはいて捨てるほど提供されていますから、子育ては我慢や苦労ばかりのように感じられると思います。さらに、アパートやマンションの閉塞された空間での子育ては、孤独で息がつまるものになってしまうでしょう。
子供の方もそんな親と1日中顔をつき合わせていたらおもしろくも楽しくもありません。
もっと子育てが母親に過剰な負担をかけず、家族や隣近所にも共有され、ほんわかとつながったものにすれば、自然に出生率は上がっていくでしょう。
その状況をつくるためにも、「自分が生まれた場所の再評価・活用」は必須なものではないでしょうか。
もちろん一部の変わり者や山っけのある人、場合によっては様々な分野の天才は、その限りではありません。でもそれはごく一部でしかないと思います。
ただ、大都市を目指すのではなく地元を見直す働き方、生き方は、これまでの成長期の常套とは異なるので、そのシフトの時期は変わり者や能力・先見性の高い人の先駆的な行動が必要になるでしょう。
その実例については、前出の藻谷氏とNHK広島取材班(この本の取材・執筆時期の頃には、まだNHKもまともだったんですね。)との共著「里山資本主義」で詳しく紹介されています。広島取材班ですので西日本の事例なのですが、このような活動は日本全国で芽を出していると思われます。
たとえば中国山地で進んでいる放置林を活用した「バイオマス発電」「エコストーブ」、島根県の山あいの耕作放棄地での牛の放牧と「絞った日ビンテージの牛乳」、野菜作りをする「耕すシェフ」や淡水高級魚の養殖などなど。すでに各地で先駆的な活動が展開されています。
これまでの農林漁業以外にも、地元の隠れたポテンシャルを活かす方法を見つけるヒントがちりばめられています。ぜひ、ご一読をおすすめします。
藻谷氏は、これを「里山資本主義」と名付け、それは、マネー資本主義のサブシステムだと言います。そうです。まずはサブシステムでいいと思います。あとは、これから広がるであろう先駆的な実活動にふれて、どちらの方が現実的かつ夢がもてるかを個人個人が考え、感じればいいと思います。
まずは、政権からの(税金での)補助金狙い、補助金頼みから脱することが大切です。
これまで会社をやっていて、政権や官庁の設定する補助金や助成金ほど本質からずれたものはないという実感をもっています。その型にはめようとすると本当の役には立たない、本当の主旨に沿ったことをしても基準に合わないということばかりでした。
これまでの政権や官僚の発想によるそういう制度に頼ると、本質を見失ってしまうというのが実感です。
特に、農業や漁業そしてエネルギーや基地などに関連した補助金は、政権の思惑にそぐわない、あるいはそれによって経済的損害や生命的危険が生じる住民を、税金を使って買収するというというものの場合がほとんどです。
いちどそのワナにはまると、まるで麻薬におかされるように麻痺・弱体化していってしまうのです。この状況は、何も地方に限ったことではないでしょう。
都市生活者も多かれ少なかれ、そうやって飼いならされていると思います。自分たちの税金で自分たちを縛ることになってしまうなんて、全く皮肉ですね。
特に成長期が終わってからは、そういう全国一律、「国民総ナントカ」では、事態はどんどん悪い方向になっていってしまいます。ヘタをすると「国民総動員」みたいな方向になってしまう危惧さえあります。
今の内に、個人個人がしっかり自分の足下を見て、しっかり地に足をつけて、これまで見向きもしなかった、自分の生まれた場所のポテンシャルを再発見し評価し、生きていく道を探して、その方向に踏み出すべきだと思います。
私たちは、まだ大変恵まれた多様な自然環境と地域ごとの文化や歴史をなくしてはいません。
今、経済合理性においても、自分たちの幸せのためにも、各地域ごとの独自性、自立性を高める方向に舵を切る時だと思います。
そういう意味では、いい時代がやってくるというワクワク感がありませんか?
大都会で、日々追い立てられ疲れ、不安を抱いて下を向いて夢をもてずに暮らしているなら、ぜひ発想を変えてみるべき時だと思います。
みなさんどう思われますか?
では、都市のこれからはどうすればいいでしょう。
次回は、そんなことをテーマに書いてみたいと思います。
みなさんのご意見、ご感想などお待ちしております。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2015年11月19日 『きゃりあ・ぷれす』発行人 宮崎郁子
株式会社パンゲア 東京都渋谷区恵比寿西1-24-1
メールアドレス cp-info@pangea.jp