2015.7.7発行 vol.371
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発行人の気まぐれコラム 4
また前回からずいぶんご無沙汰してしまいました。実はこの間、まさに「旧暦美人ダイアリー2016」の制作真っ最中で、そちらにかまけてしまっていました。その特別なお知らせも、近い内にお送りしたいと思います。
ちなみに、今日は西暦7月7日で、ちまたでは「『七夕』だからきょうはこれ!」 とか言って何かを売ろうとしていますが、今日は本当の「七夕」ではあいません。本当の七夕は、旧暦7月7日、西暦で言うと今年は8月20日です。その頃なら、天の川を見上げることもできるでしょう。そんなことも書いてあるのが旧暦美人ダイアリーです、フェイスブックでもそんなことや、その日の月の満ち欠けを発信中!
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まだの方は、ぜひいちど覗いてみてくださいね。
さて、これから書く内容については、おそらく議論百出、疑問いっぱいかも知れません。でも、こんな見方もあるかも・・と思っていただければ幸いです。
前回の「気まぐれコラム」では、「西欧近代」の限界などというタイソウな発言をしました。そして、「西欧近代」の次にくるべきコンセプトを考えるにあたって、少なくとも日本列島に関しては、大変参考になるのが江戸時代なのではないかというお話をしています。
なぜか。江戸時代が参考になる理由を、思いつくままに記載してみます。
■ 希代のモダニスト信長の時代を、当事者として生きた家康によって信長的発想の反省をふまえてつくられた時代であること。
信長(1534〜1582)は、当時の世界の中でも最も突出したモダニスト。西洋近代の基盤となった「プロテスタント」が正式に認められたのは1646年。そのずっと前に、信長は、あらゆる宗教、あらゆる伝統的権威、そして常識から全く自由であったと思われます。そんな施政者は、世界にもほとんど、いや全くいなかったのではないでしょうか。今では、そういう人間がイノベーターとしてもてはやされるのかもしれませんが。
■ 江戸時代は、そのモダンの限界を知り、それを超えるものとしてつくられた、世界でも初めての時代だったのではないかという視点。
信長が、その類い稀な常識にとらわれない戦争力と幸運で100年近く続いた「戦国時代」の終結をほぼ手中にする中で、信長の下で生身でさまざまな死線をかいくぐった家康が、信長、秀吉の海外侵攻を含めた拡張志向と国内統治のあり方の限界を認識し、その生かす部分は生かし、マイナス面は否定してつくったのが江戸幕府。つまりモダンの限界を知り、それを超えるものとしてつくられた時代ではないかということ。
■ キリスト教の禁止。
16世紀から始まるヨーロッパのキリスト教による世界進出の中で、フランシスコ・ザビエルが日本に初めてやって来たのは1549年、信長の時代でした。
希代のモダニスト信長は、宣教師がもたらす海外、特に中国や朝鮮以外の遠い他国の情報や文化・文明に大変興味を抱き、世界制覇までの誇大妄想的な夢を描きました。信長後、宣教師などの布教活動の活発化に危機感を感じて広義のキリスト教布教禁止令を発したのは秀吉ですが、その後家康は、正式に禁教令を発しました。キリスト教の布教が、海外勢力の日本列島侵略を許すことにつながることが明らかになっていったからでしょう。
実は、私が通ったのは幼稚園から高校までカトリック系の教育機関でした。当然「宗教」の時間があったのですが、その中で特に違和感をもったのは、神を頂点として、2番目に人間がいて、あとは他の哺乳類や鳥類、魚類や爬虫類、昆虫そして植物までを三角形のヒエラルキーの形に描いた絵をよく見せられたことです。
そして、人間が苦しい労働をしなくてはならないのは、原罪を犯したからだという労働観でした。
(ただ、出身校の名誉のために付け足すと、その学園は大変寛容な所で、在学中そんな考えをベースにしてつくった私のSFらしき短編を評価して公式文集にまで載せてくれました。)
もちろん禁教令が解かれた明治以降も、キリスト教は広がっていません。砂漠で生まれた宗教は、温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、それを深く文化に生かして来た私たちには、肌に合わないのだと思います。
けれども明治以降、工業化、大資本化が進んだこと、特に敗戦を経てアメリカの政策とその後のグローバリズムの波に洗われて、原罪とその罰という発想を源流にもつ労働者という概念そのものは、定着してしまっています。それは、私たちを決して幸せにしません。
私たちにとって、「働くこと」は、決して原罪によって課せられた罰ではありません。働くことは、社会に役立つこと、社会とつながること、そして自らに誇りをもつことなのです。社会は、経済成長や福祉費用削減のためではなく、人間を生かし、尊厳を守るために、そして人と社会をつなぐために、それぞれの能力や特性にあった働く場を提供しなくてはならないのです。
■ 仏教と神道の社会システムとしての活用。
江戸時代は、キリスト教の禁教令を発する一方、神社や寺は社会に役立つシステムとして活用しました。庶民の戸籍管理です。同時にキリスト教の禁教を確実なものにする狙いもあったでしょう。
もちろん死線を何度もくぐった家康にとって、仏教は心を保ち救いを得る大切なものでしたが、特に仏教を国教にした訳ではありませんでした。
仏教や神道は一神教ではなく、特に神道は「教」ではなく「道」という位置づけなのです。自然を中心としてあらゆるものに感謝する、そして恐れを抱くというものです。こうした自然信仰は、今では少数民族になってしまっている人々の間には広く浸透していたもので、何も日本列島だけのものではありません。ただ、ほとんどキリスト教などの一神教に浸食されてしまいました。自然信仰をベースとして保った状態で生き残っているある規模以上の地域は、まったくと言っていいほど見当たりません。これも江戸時代の選択よるところが大きいでしょう。
またも長文になってしまっていましたが、今号はここまで。
次号では、いよいよ江戸時代を評価する最大のポイントと、私たちがnext・近代を考えるにあたって、江戸からヒントを得られるのはどんなことかなどについて書いてみたいと思います。
みなさんのご意見、ご感想などお待ちしております。
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2015年7月7日 『きゃりあ・ぷれす』発行人 宮崎郁子