2008.1.22発行 vol.266
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■特集企画■「MINOHODOism」レポート vol.4−5
     ◆GNPからGNHへ。
      GNH(国民総幸福)を国の指標とする小国ブータンの壮大な試み
        <「ブータン雑記」その5>       宮崎郁子  
        ●とても似ている、でも全然似ていない
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【特集企画】 「MINOHODOism」レポート vol.4−5
     ◆GNPからGNHへ。
      GNH(国民総幸福)を国の指標とする小国ブータンの壮大な試み
        <「ブータン雑記」その5>       宮崎郁子  
         ●とても似ている、でも全然似ていない
         ●これからのブータンに思うこと
  ■□■                          ■□■

一昨年4月からスタートした「ブータン雑記」ですが、ついに2回目の年を
越してしまいました。前回の雑記を書いてからもちょうど1年たってしまい
ました。我ながらお恥ずかしい限りです。今年ブータンを再訪しようという
計画もあったのですが、今年はブータンの現ワンチェック王朝100周年と
いうことで、観光客が多かろうということと、仕事との折り合いが微妙な気
配があるということもあって、諦めました。来年行けたらと思っているとこ
ろです。(年が明けたばかりだというのに来年のことを言うなんて鬼が笑う
?)
ついでながら、ワンチェック王朝のブータン統一は1907年です。ですの
で100周年は2007年だったのですが、昨年はどうもあまりいい年回り
でなかったらしく、100周年記念行事は今年行われるのだそうです。一昨
年手にした公式パンフレットには、100周年記念祝賀行事は2007年に
行なわれると書いてあるというのに・・・
いかにもブータンらしいですね。効率性や計画性よりも大切なものがあるよ
うです。

では今号は、あまり長くならないように、何とかこの雑記をまとめてみたい
と思います。

◎過去のブータン雑記◎

その1 http://www.pangea.jp/c-press/melmaga/data/060426.html
その2 http://www.pangea.jp/c-press/melmaga/data/060705.html
その3 http://www.pangea.jp/c-press/melmaga/data/061025.html
その4 http://www.pangea.jp/c-press/melmaga/data/070117.html
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とても似ている、でも全然似ていない
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■ブータン人は、日本人に世界で一番似ている!?

ブータンの人々は、日本人にとても似ている。私が訪れたのは西部のごく一
部なので、そこで出会った人々に限られてはいるが、私の知る限り世界で一
番似ていると思う。理屈抜きの親近感を感じた。

ガイド氏は何だか知り合いの植木屋さんに似ているし、ドライバー氏は行き
つけのお店の板前さんに似てたりする。

基本的にシャイなのだが、決して防衛的なのではなく、知らない人にはやや
恥じらいを含んだ笑顔で接する。よく言われる「日本人は意味なく微笑んで
いて何を考えているのかわからない」という批判はブータン人にも当てはま
るだろう。知らない人に対してほど笑顔を見せ、怒ったり冷淡にしたりする
のは親しくなってからという感じは、まさに日本人そのもの。他の国の人々
には見られない対応のように思えた。

顔の造形としては、韓国や中国、さらにペルーなどインディオ系などいわゆ
るモンゴロイドに属する人々は、ブータン人と同様、日本人に大変似ている
のだが、顔の印象というものは造形だけで決まるのもではない。
造形プラスその動き、「表情」で決まるものだ。そういう印象として、ブー
タン人は日本人に一番似ていると思う。

「表情」は「情の表れ」だとすてば、「情」が似ているわけだ。ブータン人
の気質を「地球の歩き方」ではこんな風に表現している。「親切で礼儀正し
く、穏やかで誇り高い」。こうした表現、どこかで見たことがあると思った
ら、ロシアの宣教師ニコライとイギリスの植物学者ロバート・フォーチュン
が別々に書いた幕末日本訪問記の中にちりばめられている江戸末期の日本人
像だった。

ニコライは、日本人はもちろん西洋人と異なっているが、同時にあらゆるこ
とが東洋的でない、と書いている。彼ら西洋人にとっての当時の「東洋」は、
「上からは絶対専制、下はひたすら盲従、無知、愚鈍、その結果たる鈍重停
滞」というもの。日本人はそれとも違うというのだ。天皇がいても、帝王に
よらず存在している西欧の市民的体制よりも優れた市民社会体制を実現して
いるとニコライは感じた。

そういう感じは、まさに私がブータン人にいだく感覚にとても似ている。決
して抑圧された感じはない。人によって態度をガラリと変える狡猾さも感じ
られない。決して物質的に豊かではないが、地を這うような貧しさや精神の
荒廃は感じられない。何より独自の精神性に支えられた穏やかな誇り高さを
もっている。

そうすると、本当にブータン人に似ているのは、江戸後期の日本人なのかも
しれない。その名残りが、今の私たちに残っているだけなのかもしれない。
今の日本人をニコライやフォーチュンが見たら、どう表現するだろうか。は
たして幕末の日本人のように、そして今のブータン人のように独自の魅力を
感じるだろうか。

■明治以降、そしてさらに戦後の日本は、独自の魅力をどんどん失っている。

前にも書いたように、日本とブータンには、鎖国を解いた時期に120年と
いう大きな違いがある。それゆえ明治の時代に日本が急激な西欧化を図らな
くてはならなかった事情は、理解できる。当時にしてみれば、西洋科学文明
が今のような限界を迎えるとは、到底想像し得なかったことだろう。

そして、敗戦である。
敗戦に至る過程の中で、まさに身の程を知らない愚行があったのも事実だが、
敗戦によってしか、目を醒ますことができなかったのも悲しいかな事実と認
めざるを得ない。
当時のアメリカは、まだ一部に理想に燃えた知識層(アメリカ本国では当時
すでにドロップアウトされていた人々のようだが)が存在し、そういう人々
が敗戦直後の日本に多く派遣されたのは、日本にとっては幸いなことだった
のではないだろうか。その象徴が憲法9条だと、私は考えている。

そしてそれから63年という長い月日。西洋科学文明もアメリカという国も、
その魅力を大きく失い、限界を露呈し始めている。
そうでなければ、「GNH」という概念を掲げて、世界を席巻しているグロ
ーバルエコノミズムに対してさえ冷静で誇り高い判断力と対峙する気概をも
つ小国ブータンがこれほど世界で注目されるはずはない。

残念ながら今の日本は、ブータンとは全然似ていない。
政府や行政に限っていえば、「アメリカからは絶対専制、日本政府はひたす
ら盲従、無知、愚鈍、その結果たる鈍重停滞」と、幕末当時の日本以外の「
東洋」に対する表現をもじって言えそうな状況だ。そこには気概も誇りもビ
ジョンもない。

しかし私たち市民は、まだ捨てたものではないと思っている。まだ幕末まで
に培ったユニークなDNAを受け継いでいると感じる。そう信じたい。

■ブータンに見るMINOHODOism

これまで、まるでブータンこそ理想郷といわんばかりのレポートを書いてき
てしまったかもしれない。しかし、一観光客としてわずかの時間、わずかの
地域、わずかの事実にふれただけで、そのような結論を出せるとは思ってい
ない。また、どこから見ても絶対正しいこと、理想的なことなど、人間社会
には存在しないとも思っている。さらに、日本がブータンをそっくり真似れ
ばいいというわけでもない。

私がブータンのことを書きたいと思ったのは、そこにMINOHODOismのひ
とつの具体像を見たからだ。同じように考え、それをはっきり表明し、実現
しようと努力している国が現実にある、ということが嬉しかったのだ。

雑記その1でも書いたように、ブータンはまず自国の「身の程」を明確に表
明している。
「ブータンはあまりに小国であり、将来にわたって軍事面でも経済面でもと
るに足らない存在でしかあり得ないからだ。ブータンが生き延びられるとす
れば、それは他のどの国とも明確に異なる国家像、アイデンティティを力と
する以外ないであろう。」

これは決して自らを卑下しているのでも敗北主義なのでも、弱いのでもない。
むしろ、「自らの有りように勇気をもって向き合い、模倣や追随、隷属など
安易な道に逃避せずに、ブータンができること、ブータンにしかできないこ
とで世界に貢献し、存在感を示そう」という独立心に富んだ誇り高くも力強
い宣言なのだ。

ブータンの語を日本にに置き換えてみたらどうだろう。自らの「身の程」を
しっかり見定め、卑下することなくむしろそれを愛し、自分たちが誇れるこ
と、どの国より世界に貢献できることを見出していく。そういう作業を私た
ちひとりひとりがすることが、これから私たちが誇り高く、独自の存在感を
もって世界の一員として尊敬される唯一の方法だと思うのだが・・。

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これからのブータンに思うこと
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ブータンは決して理想郷ではない。実際いろいろな問題を抱えているようだ。

たとえば、殺生を禁じる仏教によるところなのか野犬が大変多く、狂犬病の
拡がりが問題になっている。また、南部のパキスタン系住民が難民化してい
るというニュースもある。

中国とインドという沸騰寸前の超大国にはさまれて、常に綱渡りの外交を強
いられている。外交のみならず経済面でも環境面でも、あたかも大洪水にみ
まわれるような、あらがえない力で押し流されてしまうことも容易に想像が
できる。
洪水といえば、実際にも、温暖化の影響でヒマラヤの氷河が溶け出し、麓の
村では洪水が頻発しているとも言われる。

ブータンを取り巻く情況は、恐ろしく厳しいと言わざるをえない。
それだからこそ、存続をかけての世界に向けたGNHの強力なアピールなの
だろう。

■ブータンのこれからは、全てが社会的実験

GNHというコンセプトを掲げて、これまでの「先進国、発展途上国という
GNP的枠組み」からの脱却を目指すブータンのこれからは、あらゆる意味
で大変興味深い。

仏教に裏打ちされた「精神的豊かさ」がもたらす「幸福」と経済活動がもた
らす「物質的豊かさ」のバランス。伝統医療と近代医療の統合。英語教育に
よるこれからの精神性の変化など、そのごく一部ではあるがこれまでこの雑
記で触れてきたように、これからのブータンはさまざまな現代的課題に挑戦
している。
環境や精神面においての限界を露呈している近代物質文明に対し、オルタナ
ティブの実例を示そうとするこうしたブータンの挑戦には、私たち地球人全
員のこれからがかかっていると言っても過言ではないだろう。
この挑戦には大いに注目し応援していきたい。

こうした期待からすると、ひとつの「カケ」とも思える大変化がまさに今、
進行中だ。
昨年から今年にかけて、ブータンでは初めての国政選挙が行なわれ、絶対君
主制から立憲君主制民主国家に生まれ変わっていくというのだ。
このことは一般的には「進歩」として歓迎されるべきことではあるが、本当
に民主化していけば、今のブータンがもっている先鋭的なコンセプトは薄ら
いでいくかもしれない。民主化とグローバリズムは、表裏一体といえないこ
ともないからだ。

やはりブータンも普通の国になっていかざるを得ないのだろうか。あるいは、
仏教という精神性を生かしながら、新たな近代民主国家の有りようを示そう
とする、これも大いなる挑戦なのだろうか。(了)

 

ようやく、とりあえずのまとめまでたどり着くことができました。いつも長
文、駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。よろしければ
ご感想などお寄せいただけると嬉しいです。お待ちしております。