◆GNPからGNHへ。
GNH(国民総幸福)を国の指標とする
小国ブータンの壮大な試み
<「ブータン雑記」その4> 宮崎郁子
●支配されないための英語教育
●土木工事をインドやネパールからの労働者に担わせる国
●転生(REBORN)という常識
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支配されないための英語教育
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ブータンの国語は、チベット語の方言をベースにしたゾンカである。しかし、
ブータンでは、谷ごとに文化が違うといわれており、言語も地域ごとに様々
らしい。ゾンカは、パロ、ティンプー、プナカなどの西ブータンの言葉だが、
近代国家をめざすブータンは、1980年代にゾンカを「国語」として定め
た。伝統的な宗教学校では、ゾンカの古典型が用いられているという。
一方、1960年代から政府の政策として行なわれている近代的教育には
「英語」が使われている。非宗教的な学校では、今でも「国語」以外はすべ
て英語による授業だという。英語もブータンの公用語のひとつになっている。
初期の近代的教育は、欧米などで教育を受けたインド人が担っていたためら
しい。しかもブータンでは、基本的に教育は全て無料になっているので、
30代以下の人々や商売をしている人のほとんどが、非常に正統的な英語を
話すことができる。
ゾンカの語順は日本語とほとんど同じであるせいか、ブータンにいると、妙
に英語がうまくなった気がする。多少日本人的な英語になってしまっても、
話はとても通じやすい。このことは、他の東南アジアで感じることと正反対
の感覚だ。たとえば今回の旅の経由地として立ち寄ったバンコクでも商売人
はまともに英語を話せない。にもかかわらず、というべきか、それ故という
べきか、流暢に英語を話すかどうかで、あからさまにひれ伏すか、コケにす
るかがはっきる別れる印象がある。
一方ブータンではそのような印象は全くない。日常語の語順が同じことと精
神性にとても似たところがあるからなのだろうか、日本人とのコミュニケー
ションがとてもスムーズな感じがあり、その一方で言語的な劣等感がないた
めか、欧米人にひれ伏す様子も見られない。
植民地などで、侵略者が現地人に言語を押し付けることによって支配すると
いうことがあるが、ブータンの場合は、そのようなことはでなく、効率性を
重んじての自国の判断としての英語の採用という経緯のためか、英語を使う
からといって欧米に支配されているという雰囲気は全くない。
ブ−タンの英語による教育は、むしろ「支配されないための英語教育」なの
ではないか、と私は感じてしまった。欧米人やインド人と対等に話すことで、
自分達独自のコンセプトや主張を十分伝えることができる。欧米的な考え方
ややり方を国民ひとりひとりが冷静に十分吟味することができる。そういう
教育のあり方もあるんだ、と私は思った。
とはいえ、やはり言語は思考を司ることもまた事実で、英語による教育に
よって今後ブ−タン人の精神性が変化していくことも十分考えられる。この
こともまた、ひとつの大きな実験のような気がする。
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土木工事をインドやネパールからの労働者に担わせる国
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ブータンの道は、お世辞にも整備されているとはいえない。峠越えの道(ほ
とんどが峠越えなのだが)は、デコボコで、私たちのドライバーの車はポン
コツの上、かなりのスピードでワインディングロードを行くので、いつもす
ぐに酔ってしまうほどだ。
それでもあちこちで、道路の補修工事はなされているし、新しい道も造られ
ている。ガイド氏によれば、道路工事を担っているのは、インド人かネパー
ル人だという。
「ブ−タン人は、農業や工芸やオフィスワークしかしない。仮設のバラック
に住んで土木工事の肉体労働をしているのはインド人かネパール人だ」と、
ある種侮蔑のトーンを込めて言うのだ。
確かに、道ばたで泥にまみれて労働をしているのは、インド系の顔だちのお
そらく下層カーストの人々に見える。
ブ−タン人のインド人に対する感情は、不思議だ。多くのインド人教師に
よって教育を受けているのに、その教師に対してさえ、なぜかあまり尊敬の
念をいだいている風がない。水力発電による電力を中心とする輸出の95%
を、また輸入の75%をインドに頼っていて、最も多額の経済援助を受けて
いる国であるのもかかわらず、何だかインド人をバカにしている。政府の奨
学金を得て留学する先は、優秀な順から、インド、ヨーロッパ、アメリカ、
日本ということになっているというのに、だ。
私はインドに行ったことがないのだが、ブ−タンでのそうした体験から、イ
ンドという国の一端を感じることができたような気がする。日本やブータン
のように階層がくっきりしていない国にとって、インドは決してひとつの国
とは思えないということだ。まるでダルマ落としの一段ずつのように輪切り
になった別々の層が重なっていて、それぞれまるで別の国のようなのだと思
う。そして、そういうことを、ブ−タン人は良しとしないのではないだろう
か。
ブータン人にとってインドは、あくまで機能として存在する。インドの上層
部知識層は、近代科学や技術を取り入れるための存在として、下層部は期間
限定の肉体労働者として、そして大国としてのインドは、最大の援助国、貿
易対象として。
それでいながら、何かとブ−タンをその影響下に置きたがるインド政府とは
距離を保つという難しい外交作業を続けているようだ。インドと緊張関係に
ある中国との緩衝地帯という地の利も大いに活かしてのことらしい。
巨大な2つの国にはさまれた小国ブータンにとって、それ故国際社会に自国
の独自性、独立性をアピールすることで、とりわけ大国に対して毅然とした
態度をとり続けることは生き残るための唯一の方法なのかもしれない。
ここでもう一度ブータン国営航空が発行した「Bhutan 2005」という冊子から
引用しよう。
「ブータン人にとって、GNHは国家としてのブータンの存続を左右するもの
だ。ブータンはあまりに小国であり、将来にわたって軍事面でも経済面でも
とるに足らない存在でしかあり得ないからだ。ブータンが生き延びられると
すれば、それは他のどの国とも明確に異なる国家像、アイデンティティを力
とする以外ないであろう。」
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転生(REBORN)という常識
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ブータンについて言及するとき、世界で唯一生き残っている密教国家という
側面に触れない訳にはいかない。
密教のみならず、仏教全体で見ても、ブータンほど自国の独自性や独立性の
基盤に意識的に仏教を位置付けている国はないのではないだろうか。そのこ
とが、ブータンのユニークさの源にあるような気がする。
とはいえ、ブータンの根幹である密教について私などが語れるとはとても思
えないので、この旅で体験したちょっとしたこと、感じたことを書いてみた
いと思う。
ブータン人は、王制と仏教国という国柄の住民だから統制的で堅苦しいかと
思うと、少しもそんなことはない。ほとんどはばかることなく言いたいこと
を言ったり、したいことをしたりする。
ガイド氏は、王妃の故郷の村を案内しながら、こんなことを言う。「国王に
はこの村出身の4姉妹を全員、妃にしていて、子供が12人もいる。そんな
にいたらお金がかかってしょうがない」
私が、カルマさん(ガイド氏の名前)も複数の奥さんがいたらいい? と聞
くと、「とんでもない、なぜ国王が4人もと結婚しているのか、全然わから
ない」と言う。
ツア−会社の社長の弟で、ブータンの通産相に当たる役所のエリート官僚氏
は、私が「GNH」というコンセプトにとても興味があってブータンに来たと
言ったら、自分にとってはGNHより、GNPの方が重要だと言ったりする。
私たちの旅に同行してくれたドライバー氏は、ブ−タンは禁煙国で、公共の
場での喫煙は認められていないというのに、車を止めた待ち時間にスパスパ
煙草をすっている。
そんな風に自由に振る舞っている人々だというのに、寺院の敷地内に入る前
になると表情が変わる。さっきまでガイドの仕事そっちのけで、彼女と携帯
でクチャクチャ話していたガイド氏が、である。
はしょり気味にしていたゴの裾を整える。たずさえていた別の布を肩からま
とって、急に表情がひきしまる。私がサングラスを取るのを忘れた時など、
ドライバー氏は、半ばおこった顔をして注意する。
お寺の内部で仏像を拝む時は、もちろん五体投地である。私たちも自然に身
体がそのように動く。ちょっといい加減だったり、オチャメだったりするガ
イド氏やドライバー氏も、仏教には心から帰依しているようだ。それは決し
て押し付けられたものではないように私には感じられた。
寺院にある彫刻や絵画は、日本で見られる仏像や仏画とはちょっと違ってい
る。仏陀や菩薩などを表現したものではなく、仏陀の生まれかわりとされ、
8世紀にブータンに仏教を伝えた高僧パドマサンババとさらにその転生仏と
される15世紀のペマ・リンパなどの像である。その後も転生は繰り返され
ているという。
ブータン人にとって、仏陀は何千年も前の存在ではないようだ。
このように、「転生」はブータン人にとっては全くの常識である。と言って
も、悪いことをすると次は虫けらや獣になってしまうから善行をしなくては、
というような脅迫観念とは少し違うような気がした。「地球のあるき方/ブ
ータン」に書かれてあるように、「長い輪廻の環の中で、この世という仮の
世界にたまたま乗り合わせた乗客同士。いずれは誰もが下車して別の列車に
乗り換えるのだから、それまで仲よく、楽しく、あくせくせずにやっていこ
う、という人生観。どうやらそれが親切で礼儀正しく、穏やかで誇り高いブ
ータン人気質を作っているようだ。」
輪廻転生を常識とするブータン人にとって、人間は他の生命と切り離された
特別なもの、という感覚はない。生きとし生けるもの、全ての生命が自分の
先祖の転生かもしれない。そうした全ての生命への親近感や尊敬が、当たり
前の環境意識のゆるがない基盤となっているのだと感じた。
(次回につづく)