●ダルシン(祈祷旗)やマニ車(祈祷車)によってお経が空中を満たす国
●鎖国によって守られた自然や文化を資産として充分認識し、誇りとする国
『きゃりあ・ぷれす』では、発行人宮崎郁子の旅行記「ブータン雑記」を
「MINOHODOism」レポート vol.4として読者の皆さまにお届けしています。
今号はその3回目。GNH(国民総幸福)を国の指標とするブータンとはどん
な国なのか。4月26日発行号<その1>、7月5日発行号<その2>掲載
にひきつづきお楽しみください。
※「ブータン雑記」その3は三日間にわたってお送りします。
<「ブータン雑記」その1> 掲載号
http://www.pangea.jp/c-press/melmaga/data/060426.html
<「ブータン雑記」その2> 掲載号
http://www.pangea.jp/c-press/melmaga/data/060705.html
《一日目》……………………………………………………………………………
昨年秋、ある雑誌で「ブータンの叡智」という特集が組まれた。私はその懐
かしくも美しく、かつダイナミックな数々の景観写真と共に、GNH(国民総
幸福)という文字に目をうばわれた。
チベット(中国)とインドにはさまれたヒマラヤの小国が生き残るために選
んだ道、それが「国民総幸福」を指標とする国づくりなのだ。
それが一体どんなものなのか、私は自分の肌で感じてみたいと思った。
単なる短い観光旅行であったが、私は3月末からバンコク経由で10日ほど
ブータンに出かけた。限られた時間で、さらりと3つの町を拠点として観光
ポイントを巡ったにすぎなかったが、バンコクという都市との強烈な対比も
あり、様々なことを感じ、ブータンという国や人々の一端に触れられたよう
な気がする。
それは「MINOHODOism」のひとつの具体的な姿であったように思う。
「MINOHODOism」とは
http://www.pangea.jp/minohodoism/toppage.html
CONTENTS
1.外国人旅行者から1人1日200ドルを政府観光局が徴収する国
(7/5発行 224号掲載)
http://www.pangea.jp/c-press/melmaga/data/060705.html
2.ダルシン(祈祷旗)やマニ車(祈祷車)によってお経が空中を満たす国
3.鎖国によって守られた自然や文化を資産として充分認識し、誇りとする国
4.支配されないための英語教育
5.土木工事をインドやネパールからの労働者に担わせる国
6.転生(REBORN)という常識
7.とても似ている、でも全然似ていない
8.これからのブータンに思うこと
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ダルシン(祈祷旗)やマニ車(祈祷車)によってお経が空中を満たす国
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パロにあるブータン唯一の飛行場を出てすぐ目につくのは、木々の間や田ん
ぼのまん中にはためいている白い旗である。これは薄手の布に木版でお経を
刷り込んだダルシン(祈祷旗)といわれるもので、寺院や山頂などでは5色
それぞれの布にお経が印刷されているものを目にする。
そういえば、ヒマラヤ登山隊などを撮った写真でベースキャンプらしいとこ
ろに色とりどりの布が写っているのを見た記憶があるが、あれはダルシンだ
ったのだろうか。
ブータンでは、町や集落でも家々の屋根や入口など、いたるところで見るこ
とができる。
風が吹いてたなびくと、経文を1回読んだのと同じ功徳があるという。広い
田園地帯などで、ダルシンがまとまって立てられている場所は、風の通り道
なのだという。
風とともに、お経がブータンの空を満たしているのか・・と私は思わず空を
見上げた。
■「幸福」ってもののひとつの有りよう
風にはためくダルシンは、チベットの映像などでよく見る、片手で持って回
すマニ・ラコルや、日本でも禅宗の法要などで見るジャバラ状の経典を空
(くう)に向けて山なりにパラパラ開くやり方と同様の考え方といえば、そ
うなのだが、私にはちょっと違うように思える。
片手で持つマニ・ラコルやジャバラ状のお経の場合、それを回したりパララ
ラと開いたりすることでお経を読んだのと同じ功徳が得られるのは、その行
為を行なった本人か、せいぜい同じ場にいた人々くらいの感じがするのに対
し、ダルシンには、風という自然の力で広々とした空にお経が舞っていく、
というイメージがわく。
ダルシンは、ブータンの人々がこぞって行なう寄進によっていたるところに
立てられているのだが、そのことによって得られる功徳は、寄進をしたその
人だけでなく、ブータンの空の下に生きるすべての者や物にふりそそぐよう
に思えるのだ。もしかしたら、風にのって世界中にも。
このダルシンがいたるところではためく国でいられること、お経が空を満た
していること。GNH(国民総幸福)を指標とする国の、最もベーシックな条
件を、私はそんな風にとらえることができた。
このようなことが、「幸福」ってもののひとつの有りようなのではないかと
思った。
■水力で回るマニ車
ブータンで見るマニ車(祈祷車)もまた、同じような性格のものだ。
ブータンでも、お年寄りなどは片手で持つすマニ・ラコルを回している人も
寺院などで時々見かける。しかし圧倒的に多いのはマニ車で、宗教的建造物
の周りには必ずといっていいほど作り付けられている。
マニ車とは、内部に経文を印刷した紙を納めた回転体で、1回回せば経文を
1回読んだのと同じ功徳があるというものだ。マニ・ラコルとの違いは、人
が持ち歩くものではなく、宗教的な場に据え付けられたものという点だ。
寺院などにはおびただしい数の小さなマニ車が並んで塀のようになっていて、
参拝者は次々と回しながら建物全体を回っていく。マニ車を回すのも建物を
回るのも、必ず時計周りでなくてはならない。
寺院の入口や参拝者がたまる交流点などには、人の背丈よりも大きいマニ車
もあり、これを回すのは結構力がいる。
マニ車のなかでもおもしろいのは、神聖な岩の下を流れるせせらぎや、村に
とって大切な小川などに作られている水車をつかった水力マニ車だ。これも
ダルシン同様自然の力でお経をふりまく仕掛けだ。空中にはもちろん、きっ
と水の流れにものって、村々を、そして国全体を、さらに海にまでお経は流
れていっているに違いない。
■必然的な環境意識
ダルシンによってお経が広がっていく空、水力マニ車によってお経が流れて
いく水。どちらも汚していいはずはない。このあまりにも当たり前の人々の
気持ちが、ブータンの環境政策をツケヤキバやオシキセでない主体的でごく
自然なものにしているのだと感じる。
明治以前は、私たちももっていた当たり前の気持ちなのだが・・
(明日に続く)
《二日目》……………………………………………………………………………
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鎖国によって守られた自然や文化を資産として充分認識し、誇りとする国
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以前にも書いたように、ブータンは約30年前1974年までは鎖国状態に
あった。日本も江戸時代の300年鎖国をしていたので、共通点があるよう
に思える。しかし一方、時代的背景という点では、相違がとても大きいと感
じる。少し整理してみた。
日本が鎖国を解いたのが日米和親条約が結ばれた1854年だとすると、日
本とブータンは、鎖国を解いた時期にちょうど120年の開きがある。
この1854年から1974年までの120年という時間は、文明史上では
大変大きな意味をもっていると思われる。西洋科学文明が「いけいけどんど
ん」であった19世紀半ばと、その限界がかなりはっきり見えてきた20世
紀後半という時代背景の大きな違いだ。
日本が150年前、西洋科学文明の申し子であった蒸気船の到来によって鎖
国を解かざるを得なかったのは、やむを得なかっただろう。また、長い時間
をかけて独自に発達させた社会や文化に比べ、あたかも限界を知らないよう
なパワ−や早さなど分かりやすい魅力をもった西洋科学文明に驚嘆し、
すっかり心酔してしまったのも、あの時代背景の中ではしかたがないこと
だったと思える。150年前は、そういう時代だった。
しかし、ブータンが開国した30年前は全く状況が違う。「ブータン雑記」
その1にも書いたように「経済的、物質的には驚くほどのレベルに達した
国々であっても、幸福はそれほど大きくなっていない」ということに多くの
人が気づき始めている時代だ。
この120年の間の人々の価値観の大変化が、今ブータンを大変希少で重要
な国、地域として世界中から注目させているのだと思う。また、ブータン人
自身の西洋的社会とは異なる自国の文化や自然に対する誇りと自信を強靱な
ものにしているのだと感じる。
ブータンがGNHというコンセプトを広く世界に掲げることを可能にしている
のは、こうした時代的背景が大きい。それは、西洋科学による移動手段をも
ってしてもアプローチが困難な秘境としての地形が幸いしたといえるかも知
れない。もちろん、そのなかでしっかりとした営みを積み重ねてきた人々に
よる社会や文化あってこそなのだが。この120年という猶予をもてたこと
は、ブータンの人々にとって大変幸運なことだったのだが、それだけでなく、
私たちブータン人以外の地球人にとっても大きな幸運だったと思える。
前置きが長くなってしまったが、ブータンがどのように時間をかけて培って
きた自然環境や文化、そして独自性を守り育てているかを、いくつかの例で
お伝えしてみたいと思う。
■日常の中の民族衣装
バンコクからブータンに向かう国営航空会社ドゥク・エアの機内で、まず初
めに民族衣装を着た客室乗務員の女性に出会うことができるが、これは他の
国の飛行機でも珍しいことではない。やはりまず驚くのは、パロの空港に到
着してからである。パスポートチェックや様々な仕事をしている空港係員全
員が、日本のかすりの着物に似た柄の衣服を着ていることだ。これは、男性
ならゴ、女性ならキラとよばれる民族衣装である。男性は、ゴの下にハイソ
ックスと革靴といったいでたちだ。ゴの柄はいろいろなので、別に制服とい
うわけではないようだ。
そしてロビーに出ると、同じような姿のガイドが出迎えてくれる。ロビーに
は沢山のガイドがゴに革靴姿でそれぞれの担当旅行者を出迎えている。
さらに、私たちを乗せてくれる車のドライバーも同様。それからは、出会う
人出会う人全員がゴかキラ姿である。
ブ−タンでは、民族衣装の着用が義務づけられているということはガイドブ
ックなどで知っていたのだが、実際に誰も彼もがそのいでたちで普通に日常
生活を送っているのを見るのは、とても新鮮である。特に学生らしい坊主頭
の男の子たちがふざけ合っているのを見ると、顔だちが私たちにとても似て
いることもあって、何だかすごく懐かしい気持ちになる。といっても、実際
に日本でそのような光景を見た訳ではなく、「伊豆の踊子」とか、そのよう
な映画の感じなのだ。
建物も全て伝統的デザインで統一されているので、たとえて言えば太秦の撮
影所の大大拡大判といったところか。
大変残念なことに、江戸の下町的な発展をとげた場所はブータンにはないの
で、それはかなわないが、明治時代くらいまでの農村地域の日常はかくあっ
たであろうと想像できる光景が目の前に広がっている。作り物でないタイム
トリップ感がある。ドゥク・エアの飛行機は、いわばタイムマシーンなので
ある。
とはいえ、時代はもちろん今である。開国前のブータンでは、それぞれの家
族の中に女性が手織りで家族のためのゴやキラの布を織っていたのだが、今
は女の子たちが学校に通っていて、母親から織りの技術を学ぶ時間がなくな
っている。そのため、インドからブータンの伝統柄を機械織りした布が安く
流入していて、日常着にはそれが使われているらしい。
一方、伝統的な手織り技術の継承・向上については、政府の重要な仕事にな
っている。首都に織物博物館をつくり、見事な歴史的布地を展示したり、全
国から応募作品を募り、毎年織物コンテストを開催するなどの振興策が強力
に進められているようだ。
ここでもブータンは、近代化と伝統文化の伝承と向上の推進という難しいか
じ取りを行なっているといえるだろう。
(明日に続く)
《三日目》……………………………………………………………………………
■伝統医療と近代医療の融合をめざすブータンの医療
ブータンは、古い経典の中で「薬草の地」と呼ばれていたらしい。今でも3
00種を超える薬効植物が自生している。その中には、伝説の「冬虫夏草
(トウチュウカソウ)」もあるという。冬は虫で夏は草、イモムシに寄生
し、やがて宿主の体を奪い取ってしまう菌類のことだ。(小学生のころ
「カムイ伝」というマンガで、私は初めてその名を目にし、ちょっとグロテ
スクな神秘性が子供心にとても印象的だった。)
ブータンの薬草は古来、伝統医療の中心であるチベットにも供給され、ブー
タン人医師はチベットで伝統医療を学び、帰国後何世紀にもわたってその伝
統を受け継いできた。
開国後、ブータン政府は西洋近代医療システムの整備に重点的に投資を行な
ってきたが、その一方、首都ティンプーに「伝統医学院」を設立し、伝統医
療の提供と伝統医学医師の養成を図っている。
ブータン人は病気に際し、伝統医療や宗教儀式と共に、今では国内650カ
所の様々なレベルの近代医療施設で無料のサービスが受けられると聞く。そ
のことにより、妊婦や幼児の死亡率は大幅に減少したらしいが、神経外科な
どの高度な医療は、インドに頼らざるを得ないのが現状のようだ。
今後ブータンは、近代医学のレベルアップを図りながら伝統医学との融合を
進めていくことをめざすということだが、それがどのような具体像になって
いくか大いに注目したい。
近代医学はあくまで個人の生命を最大価値とするコンセプトをもつ限り、臓
器移植などを含むその延命、さらには個の複製としてのクローン技術の追求
などに邁進せざるを得ないだろう。一方伝統医療は、仏教の転生という概念
を包含しつつ、生の質の向上や自然への回帰である死への尊敬と親しみをベ
ースにしているように思われる。これらの高いレベルでの融合は、私たちに
とっても大きな関心事であることに間違いない。ブータンのチャレンジは、
ホリスティック医療という視点においても大いに注目され、日本とブータン
の医学界な何らかの共働がなされることを期待したい。
■ハイバリュー、ローインパクトの「元祖 エコツーリズム」
7月掲載の「ブータン雑記」その2にも書いたように、ブータンの観光政策
は大変ユニークである。その背景には、GNHというコンセプトの基本にある
「自国の自然環境や文化に誇りをもち、資産として尊重することこそ、ブー
タンの独自性、独立性をもった存続を可能にする」という毅然とした姿勢が
はっきりと見てとれる。こうした言い方が、単なるレトリックでないことが
わかる一例として、こんな事実があるようだ。
ブータンには7000mを超える未踏峰が20もあるのだが、一時は受け入
れていた外国の登山隊への門戸を、政府は1970年代末に閉ざしてし
まったという。エベレストの入山料は、ネパールの例では1人1万ドルだそ
うだ。それ以外にも登山隊を受け入れれば、政府や住民は多くの経済的恩
恵に浴するというのに、なぜなのだろう。
その理由は、峰々のふもとの高地一帯で家畜を飼って暮らしている遊牧民た
ちが「神聖な山々を汚すのはやめてほしい」と、国会に陳情したからだとブ
ータン政府発行の資料にはある。
さらに、もう少し資料の引用を続けると次のようである。
−−−−これは、人々の心の平安が物質的な利得より大切であるというブー
タンの確固とした政策の基準を示す、ほんの一例である。国土の72%が森
林に覆われ、26%以上を自然保護区や国立公園として保護し、また宗教と
伝統文化の精神を必死にまもろうとしているのも、同じ理由だ。
「もしわれわれが文化と環境の保護政策をこれほど徹底して実行していなか
ったならば、ブータンは経済的自立により近づいていたかもしれません」
と、ロンボ・ジグミ・ティンレ総理大臣(当時)は、1998年に、21世
紀の諸問題を議論する国際会議での演説で述べた。
「しかし、経済的利得のために外国からの文化流入を野放しにし、自然環境
の悪化に目をつぶっていたならば、ブータン社会はその特徴を大きく損なう
結果になっていたでしょう」−−−−(引用ここまで)
ブータン政府が遊牧民たちの素朴な訴えを受け入れ、政策を変えた背景には、
おそらく隣国ネパールでの状況に対する憂慮があったのではないだろうか。
ネパールはカトマンドゥという首都名でもわかるように、ヒマラヤ登山のメ
ッカとして知られている。また、エベレスト南麓に住む高地少数民族「シェ
ルパ族」の名前は、山岳ポーター登山ガイドの一般名称とも言えるほど有名
で、彼らなくしてはヒマラヤ登山は成立しないと言われるほど重要な存在に
なっている。
しかし、シェルパ族の実態は、ネパール人の平均収入と比べて高収入ではあ
るものの、命の危険と隣合わせの重労働を強いられる上、保障制度も全く整
っていない。しかも欧米や日本などの登山隊の花々しい登頂成功の際も、ま
た遭難の場合にも、まるで人としてその数に入っていないかのような扱いで
ある。登山隊の名誉のための道具のようである。
ブータンが標榜するGNHとは、全く相容れないものというのははっきりして
いる。
さらに、ヒマラヤでは登山による環境破壊も問題になっている。登山隊は、
登頂を成功させるために、使い終わった装備はどんどん捨てていく。それを
回収するのは至難の技である。(登山家の野口健氏などが取り組んでいるよ
うではあるが) ヒマラヤはゴミの山なのだ。
しかし、一旦入山料やガイド料などを手にしてそれに馴れてしまうと、国も
住民も、それを手放すことはほとんど不可能に近い。国は苦労なく外貨を稼
げ、住民は遊牧など在来の生活文化やノウハウを継承しなくなってしまうか
らだ。
ブータンは、あくまで自分たち文化や自然環境などの優れた特徴に対し関心
と敬意をもって訪れる旅行者のみを受け入れ、心からのもてなしをしたいと
考えている。
国営航空会社ドゥク・エアのみの乗り入れ、「ブータン雑記」その2に書
いた最低旅行費用の設定や「アマンコラ」「ウマ・パロ」の大変コンセプ
チャルな豪華リゾートのみの外資観光資本の受け入れ、踏破することが最大
目標である登山ではなく、ブータン自身が「最も素晴らしいヒマラヤ体験」
として提案する常識はずれのトレッキングプログラムの提供など。これらは
全て、受け入れ人数を限った上で最高の体験を旅行者に提供し、さらにブー
タンの素晴らしさ、稀少さを世界に示そうとするオリジナリティあふれた観
光施策である。まさに、ハイバリュー、ローインパクト。こうした施策は、
エコツーリズムという概念そのものが生まれる前から行なわれているという
ことで、「元祖 エコツーリズム」と言えそうだ。
ブータンは、先進国やそのやり方に巻き込まれたアジアの国々の姿を冷静に
見つめている。そして、その問題点を把握し、オルタナティブを常に模索、
実践しようとしている。
様々なフェーズで、大変興味深いブータンについて、次号以降ももう少し書
いていきたいと思っている。
よろしければおつき合いください。(次号に続く)