2006.10.11発行 vol.232
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■特集企画■「天職を探せ」
第15回 カエルメディア代表 鈴木菜央さん《前編》

 メディアのパワーで創造的に世の中を変える(カエル!)
  WEBコミュニティー・メディア『greenz.jp』編集長

 ◆ 元ヒッピーのイギリス人の父親から受け継いだもの
  ◆ 阪神淡路大震災のボランティア活動で知った「人のチカラ」
  ◆ 雑誌『ソトコト』の編集者になって
 
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            「天職を探せ」第15回
         カエルメディア代表 鈴木菜央さん 《前編》
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今回の「天職を探せ」にご登場いただくのは編集者であり、カエルメディア
の代表鈴木菜央(すずきなお)さんです。

2002年1月からスタートした『きゃりあ・ぷれす』の人気シリーズ「天
職をさがせ」は約5年の間にさまざまな分野から14人の方にお話を伺い、
天職を見つけた結果よりもそこに至る「思考の変遷」や「キャリアの蓄積」
にスポットを当ててご紹介してきました。読者の方達が、悩んだり迷ったり
して次のステップを踏んでいく時には、何らかのお役に立ちたいという思い
からです。

しかし、鈴木さんの場合、彼自身の思考やキャリアの変遷で天職である編集
者に至ったというより、20世紀から21世紀に移り変わる「時代の変遷」
が彼を編集者として地球上に登場させたようです。

鈴木さんにはじめてお会いしたのは、持続可能で平和でワクワクするスゴイ
未来!を目指す、WEBサイト『greenz.jp』(グリーンズ・ジェイピー)の
編集長としてその立ち上げをなさったばかりの頃でした。

私たちの前にスルリと現れて、壮大なテーマを楽しそうに話す鈴木さんに
「天職ですか?」と思わずお訊ねしたのが、今回の取材のきっかけです。

21世紀に入って、現状を否定するパワーを集めて世の中を変えようとする
やり方は、それ自体20世紀型体制のウラオモテの関係だと気づき始めてい
ます。と同時に鈴木さんとの出会いは、その「時代の変遷」を経て、まった
く新しい「創造の時代」へのシフトが進行しているのだということを教えて
くれています。

メディアのパワーで創造的に世の中を変える。
カエルメディアのカエルは、世の中を変える(カエル)メディアという意味
だそうです。

◆WEBサイト『greenz.jp』(グリーンズ・ジェイピー)とは◆――――
20代から30代のワカモノ層をターゲットにしたエコロジー系WEBサイ
ト。「持続可能な社会と平和を実現」をテーマに、情報発信者と受信者がイ
ンターネット上でコラボレートする「WEBコミュニティー・メディア」
を創り出している。1999年から同じテーマで個人と個人、企業を個人を
つなぐさまざまな活動(ワークショップ・イベント等)を展開し、大きな成
果をあげているNPO法人「ビーグッドカフェ」が設立した株式会社ピース
・コミュニティ・プランが運営する。

 greenz.jp(グリーンズ・ジェイピー)URL:http://greenz.jp/
  BeGood Cafe(ビーグッドカフェ)  URL:http://www.begoodcafe.com/

 株式会社ピース・コミュニティ・プラン  
             URL:http://www.peace-cp.com/news/index.html

【プロフィール】==========================
鈴木菜央さん(すずきなお)
カエルメディア代表・『greenz.jp』編集長
 
1976年イギリス人の父親と日本人の母親のもとに、タイのバンコクで生
まれた。6歳の時に父親の仕事の関係で東京に転居、学校教育は小学校から
大学まで日本の教育を受けた。大学は東京造形大学でデザインを学ぶが、浪
人時代に体験した阪神淡路大震災のボランティア活動がその後の方向性を決
めることになる。大学卒業後、アジア、アフリカからの研修生を農村指導者
として養成するNGOアジア学院でボランティアスタッフとして働く。その
後、父親が社長を務める外資系建築コンサルタント会社カリー&ブラウンジ
ャパン・リミテッドを経て、木楽舎へ入社、月刊『ソトコソ』にて、編集者
としての道を歩き出す。3年間勤務したのち退職。2005年カエルメディ
アを設立。『ソトコト』のライター、企業の広報誌や環境報告書の別冊、の
フリーペーパー、アースデイの公式ガイドブックなど、フリーランスとして
エコロジカルなテーマを取り上げたメディアの編集に多く携わっている。

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   ◆ 元ヒッピーのイギリス人の父親から受け継いだもの
   小さい頃はどんなことも「何で?何で?」って聞くので「何でマン」
   と呼ばれていた。その好奇心を大切にしてくれた元ヒッピーの父親か
   ら受け継いだものが編集者として道を開く。
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*まずは、どんなお子さんでしたか。
  
どんなことも「何で?」「何で?」って聞くので、「何でマン」と呼ばれて
いました。

*へぇ〜(笑)それは学校でもおウチでも?

そうです。母親はすごく困ったらしいです。
でも、父親は幅広いことに興味を持つことは大切といって、きちんと答えて
くれていたように思います。子供だったからちゃんとはわからないけど、世
の中っていろいろおもしろいことがあるんだなぁって・・・。

*それで、その「何でマン」だった子は小学校も中学校もずっと何でマン?

う〜んそうですね。教科書をどんどん先に読んじゃうような子でしたね。
国語の教科書なんが読みすぎちゃって違う本を読んでましたね。

でも、数学とか理科とか、決まった手順を踏まないと解決しないのはホント
に苦手で数学なんかいつも零点だった(笑)。何も答えがないことはすごく
好きだったし得意だったんですけどね。

正確に言うと物理とかは、数式なんてわからないけど本として読むのは小さ
い頃から大好きでした。物理、数学の最先端の分野はある種オカルト的だっ
たりして大好きなんですけど、いわゆる学校教育の中で、カタチがあってそ
れにはめ込まれて答えを出すというのがイヤだったんだと思います。

*なるほど、それって今の鈴木さんからも想像ができますね。
  6歳のときバンコクから日本に来てからは、ずっと東京ですか。

はい、住所でいえば港区白金台です。駅でいえば目黒から品川の間。

*鈴木さんの活動の大きなテーマになっているのが、NPOだとかコミュニ
  ティーといった人と人がどのようにつながるかということがあると思うの
  ですが、子供の頃の育った地域の中で、気がついたことってあったのかな。
  それとも逆に全くそういう生活ではなかった?

そういうことはあまりなかったですね。ただ、父の仕事の関係で結構あっち
ゃこっちゃ行っていましたから、なんだか世界にはいろんな考え方があって
たまたまその1つが自分の考え方なんだということは、どこか肌で感
じていたのかも知れませんね。

とにかく、オヤジが元ヒッピーみたいというか、ヒッピーそのもので、車で
日本まで来ちゃった人なんですね。

*へぇ〜、車でですか!(驚)

えぇ、イギリスから日本までです。そのどん詰まりのような仙台で母と知り
合ってます(笑)。学生運動をやってて、そのせいでアメリカには入国でき
なかったような人です。

職業は、建築コンサルタント(日本にはない英国の資格)で、今も日本で仕
事をしているんですが、僕が編集者になったのは元ヒッピーだった父親の影
響が大きいかも知れません。

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   ◆ 阪神淡路大震災のボランティア活動で知った「人のチカラ」
   浪人時代に体験した阪神淡路大震災でのボランティア活動で、都市
   文明のもろさを実感。その一方で心底感動したのは人と人がつながる
   ことの素晴らしさ。人間ってスゴイ!
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*大学は東京造形大学でデザインの勉強をなさったようですが。

はい、その中でも3年生の時に参加したゼミで編集デザインの勉強したこと
が、今の仕事の専門性につながっているといえます。

ただ、それよりも、僕の方向性を明確にしたのは、浪人時代に体験した19
95年1月17日に起きた阪神淡路大震災のボランティア活動だったように
思います。「これからは市民の力だ」って強烈に感じたんですね。

*大震災の後、いつごろどれくらいの期間行かれたんですか。

震災から2週間経った1月後半から3ヶ月間です。

*想像もできないような悲惨な状況だったと思うんですが、具体的にどうい
  う状況で、どんなことに鈴木さん自身は遭遇して、ご自分がどう思ったの
か聞かせていただけますか。

はい。ボランティアとして入ったのは、神戸の三宮でした。まずは現地に入
らなければならないんですけど、そこで見た風景は、高速道路が横倒しにな
ってたり、ビルが倒れてたりするわけですよね。途中からは電車もなくて。

やっと僕たちの活動場所になる小学校に着いたんですけど、廊下中に人がい
て学校全体に3千人ぐらいの人がいるわけですよ。

トイレもない。簡易トイレがやっとできても3千人に対して非常に少なかっ
た。校庭一周ぐるっと住民の人たちと一緒に穴を掘って、それを皆で使うわ
けです。

やっと水道が通っても、余震の危険があるというのでガスは止められる。

電気はきていましたけど、基本的に殺気だっている。子供達はいつもどこか
でけんかしているという状況でした。

トイレがないから人糞がいつも校庭に溜まりっぱなし。それもボランティア
のチームで手配してキレイにするとか本当に大変な状況なんです。

それに流通が止まっているので、コンビ二にさえモノが何もないんですね。

食料もない、ガスもトイレも家もないわけですよ。

そんな状況の中で、こんなに都市というのはあっという間にもろくも崩れて
しまうのかってものすごくショックでした。

金持ちの家はそれでも残っているけど、貧乏人の家はつぶれているわけです。

なんともいえない気持ちになって、災害を受けるということでは同じだけど
やっぱり平等ではないんだなと思いました。

国は何もやってくれないし、1人死んで××万円とか家一軒に対して××万
円とか支払われるんだけど、行政の不備というか、とにかく後手後手で国は
もうだめだなって実感したんですね。

山崎パンは毎食10万食を無料で提供してたりしていましたね。それを僕た
ちボランティアが受け取って配給するわけですが、初期は相当混乱しました。
とにかく都市文明というものの限界を感じてしまったわけです。

東京とか高いビルを見ても、これって一大文明のようにみえるけど、人間が
ただ勝手に築き上げた神話だったりするんじゃないかって。

それに都会って野菜つくっていないじゃないですか。これが野菜をつくって
いたとしたら少し違ってたかもしれないですね。

結局、外からの物資がポンプで送り込まれている状態が都市なんだと思いま
す。

とにかく、震災の後の状況を見て、都市という「人間文明」って「なんのこ
っちゃない、なんじゃこんなの」って思ったわけです。

そんな状況の中で頼れるのは親戚、友人、知人。また、ボランティアの人た
ちが本当に心の底から「僕たちはこの人のために何かしたい」ってなんの見
返りを求めず何か力になろうする一面を見た時、人間ってこんなに素敵なん
だと思ったんです。

そういう意味では、変な話ですけどすごく楽しかったんですよね。

通常世間的にはあまりよく言われていないような人、例えばやくざのような
人がいろんな差し入れをしてくれたりもして。

作られた人間社会ではないところで本当の人間性が出てきたっていうか…。
「おぉっ、やればできるんだ!」っていうことを発見できたんです。

「人間ってスゴイ!」って。

震災のボランティアとは話がずれますが「老人が孤独死するような時代」に
ただ話しかけるのボランティアとか、そういうのとても重要なんだと思うん
です。

1人でも多くの人が悲しまないで、幸せに暮していくためには、国や企業を
当てにするのではなく、市民ひとりひとりの力をどうつなげるかということ
を考えたいと思ったんですね。

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  ◆ 雑誌『ソトコト』の編集者になって
  雑誌『ソトコト』に企画書をもって就職活動。
  NPOって楽しい!これからの時代はNPOの時代!
  編集者としての仕事を通じて世の中のNPOに対する見方を変えた。
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*その後大学を卒業してからもやはり就職はせずにNGOでボランティアを
  したわけですね。

はい、栃木県にあるNGOアジア学院というところで、一年間ボランティア
スタッフとして働きました。アジア、アフリカから来る研修生を農業指導者
として養成する団体なんですが、何かに依存するのではなく自立して生きる
ための生産活動やコミュニティーのあり方を体験することができました。

*そして、いよいよ就職ですか。

とりあえず学費など親に出してもらっていたので、それを返すためにも父親
の会社で働くことにしました。外資系ということもあって、3ヶ月の長期休
暇にバックパッカーで海外に行けたりと、働く環境としたら良かったんです
けど、やりたいことがあって働いていたわけではないので、僕にとっては辛
いといえば辛い時期でしたね。

*編集者なったのは雑誌『ソトコト』からですか

そうです。『ソトコト』にはいきなり「企画書」を持って行きました。

僕は何がしたいのか、何ができるのかはっきりしていたので、僕がやりたい
ことができるメディアを探していて『ソトコト』を知ったというわけです。

*それで成功したんですね。

はい、企画と一緒に僕も編集者として就職することができました。

編集者といっても全くの初心者ですから、デザイナーと打合せした内容があ
まりにひどいので、しょっちゅう怒鳴られてましたけどね(笑)。

*持ち込んだ企画はどうなったんですか。

僕は僕自身がNPOをやるのではなくて、NPOの応援をしたり、たくさん
のNPOをネットワークしたいと思っていたので「NPO特集」を企画しま
した。それも、次の世代を動かすワカモノを巻き込んで創造的に活動してる
NPOだけを特集したんです。

*企画は大成功だったんですね。 

えぇ、それまでは『ソトコト』はあまりNPOのことは扱わなかったし、世
の中的にもNPOというのは得体の知れないもので、少なくとも楽しいとい
うものではなかったと思います。

「まぁあなた良い人ね。」みたいな。「ボランティアに行ったの。なんてエ
ライんでしょう・・。」って感じだったのを、。「エライんじゃないよ楽し
いから行ったんだよ」って、いろんな人に言わなきゃいけなかったんですよ
ね。

それが今では「えっNPOおもしろそうじゃん!」っていう世の中になった
んですから・・・。

その後も「ソトコト」を通じて、NPOの重要性と可能性を伝え、紙面の編
集だけでなく、NPOが連携する新しい仕組みをつくったり、NPOサミッ
トなどイベントの企画もしました。

アフリカ女性初のノーベル平和賞受賞者で、「MOTTAINAI」で有名なワンガ
リ・マータイさんが来日した時には、日本の元気なNPOリーダーたちを呼
んで「NPOサミット」というイベントもやったんですよ。

・・・・・・・後編に続く