2006.4.19発行 vol.216
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■特集企画■天職を探せ 第14回
かなえられる「夢」を描いて、きちんと努力する。
100円パーキングの“空中”に「新しい夢のつぼみ」と「都市の緑」
を産み出したい。株式会社フィル・カンパニー・松村方生さん(後編)

◆経済優先の社会の中で薄まってしまったセーフティーネット
人が人らしく生きられる「何か」をつくりたい

◆今の自分にできることは「公園」をつくること
そして、経済性と両立させる「新しい仕組み」ができてきた

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都市にもっとほっとする空間や緑があったらいいのに・・・。そんな思いは
都会ですごす誰しもがいだくものです。
でもどうやって実現する?
その方法を見出して、ビジネスとして取り組もうとしている1人の起業家に
出会いました。松村方生さん、28才です。

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       かなえられる「夢」を描いて、きちんと努力する。
  100円パーキングの“空中”に「新しい夢のつぼみ」と「都市の緑」
             を産み出したい。
       株式会社フィル・カンパニー・松村方生さん(後編)
  ■□■                          ■□■

東京の街に立ってぐるり360度見渡すと、ビルとビルの合間に必ず見える
「100円パーキング」の看板。休閑地の手軽な活用システムとして、ここ
10数年の間に急速に拡がった都心の風景です。そして今後、この風景が、
また変わろうとしています。

駐車場の上には、アルミの枠と透明なガラスで組み立てられた直方体の建築
物が建ち、屋上には緑の空間。28才の青年起業家松村さんが「人が人らし
く生きるために本当に必要な空間を都心につくりたい」という思いから、発
想した100円パーキングの空中利用というアイディアです。

パーキングの上には、新しい価値を生み出そうとする人達のショップやオフ
ィスなどの「拠点」をつくり、ビジネス的に成立させる。そしてその上を緑
化する。単に都市緑化というだけではなかなか実現が難しいことを、ビジネ
スとの合体によって実現し、継続・拡大が可能なモデルにしようとするもの
です。
不動産や建築の業界構造を根本から見つめ直したプランは、環境省主催の
「2005年環境ビジネスコンテスト」で準グランプリを受賞しています。

純粋に学問だけをしようとしていた物理学専攻の学生が、キャンパスの外で
気がついた「人間」ってもの・・・。花形外資系戦略コンサルティングファ
ームに就職して、企業再生の現場にどっぷり浸かって気がついた「社会」っ
てもの・・・。
そして退職、起業。
いつも「思い」に素直で、そのなかで持てる力を最大限に発揮する松村さん
のこれまで、そしてこれからのお話を、先日東京駅八重洲口近くにオープン
したばかりのショールームで伺いました。


【プロフィール】
  株式会社フィル・カンパニー 代表取締役 松村方生さん
まつむら まさお 1978年埼玉県生まれ。父親の転勤で小学校時代は大
阪で育つ。東京工業大学理学部物理学科卒業。外資系戦略コンサルティング
ファーム、ベイン・アンド・カンパニーに入社。数々の企業破綻が新聞で大
きく報じられていた時代背景の中、新規事業立案、合併後の戦略構築など分
野を問わず主に企業再生に係るコンサルティングに従事。4年後に退社。
その後、株式会社フィル・カンパニーを設立。今年2006年3月20日2
年間の準備期間を経て、「フィルパーク」の第1号をショールームとして東
京八重洲に完成。駐車場の空間を利用する独自のスキームが動き出す。

■株式会社 フィル・カンパニー
< http://www.philpark.jp/ >

※「きゃりあ・ぷれす」編集部がお邪魔したときの写真が掲載された
  前編はこちら!
< http://www.pangea.jp/c-press/backnumber/cp-0215.html >

◆前編の記事より◆

■もともとは大学院に進んで学問を追求することしかイメージしていなかっ
  たんです。
  純粋に数学の定理や物理学の理論などを「おれこの真理わかっちゃった」
  みたいな、ある種自分のものにして使いこなせるというようなことを追っ
  かけていましたから。でも、どうやら世の中「物理学」だけでは全く動い
  てないぞと気がついた。ニュートンの法則では動いていないということを
  実感したんです。

■裏表あると思うんですけど、表の部分の仕事の目的として「日本のお父さ
  んを守りたい。父親がクビになって家族が路頭に迷う、それを守るなんて、
  なんてかっこいいんだろう」って思いました。裏の部分としては、給料が
  高かった。大義名分とお金というふたつの天秤が、自分の中で両方高いの
  がいいなって。

■3日、3ヶ月、3年ってよくいいますが、3年はどんなことでもやろうと
  思っていました。どんな仕事でもきっといいことばかりじゃないけど、最
  初の3年は夢中でやるんですね。僕の場合も、本当にこのままで自分のや
  りたかったことが果たせるのかなって、4年目の一年間は悶々と悩みまし
  た。自分の仕事の限界が見えてきたんです。
  会社が次々と苦しい状況に追い込まれていった背景には、これまで経済産
  業省がとってきた政策が成り立たなくなっていたという問題もあります。
  これは事業計画というレベルでどうにかできることではないですよね。そ
  ういうことに目がいくようになったんです。


■僕は若かったから、もっと理想を見たかったから、自分の仕事も必要なん
  だということに気がつきませんでした。今思えば、あの時、よそ見をせず、
  もっと仕事に打ち込んでいたら、また違った道もあっただろうし、別の方
  法を見つけられたのかも知れないと思うこともあります。
  今は自分の責任が持てる範囲で、少しずつでいいから、本当にピカピカの
  元気な会社を創りたいと思っています。

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●経済優先の社会の中で薄まってしまったセーフティーネット
  人が人らしく生きられる「何か」をつくりたい
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宮崎 一年間悶々と考えてマクロ経済や政治という前段階をやるということ
    もあるけど、コンサル会社から見れば後段階である実際のビジネスを
    やろうと結論をだされたわけですね。

松村 視点でいうとXLMS、巨視的なXLのマクロ経済から、小さな事業
    までの中で、コンサルティングというのはLとM辺り。企業の方向づ
    けに関してはプロフェッショナルだと思いますが、その細かな実行部
    分までは見られない。ちょうど中間にある領域だと思うんです。
    前段階という「上」から発生してくる問題がある場合もあるし、後段
    階という「現場」に起きている場合もある。で、まずは下積みかなっ
    て。現場で下積みをしようと思いました。20年ぐらい・・・。納得
    がいくまで。

宮崎 20年は長いですね。下積みじゃなくなっているでしょう。

松村 えぇ。ただどんな場合でも、ゼロからやらないとわからないと思うん
    です。ゼロからやらないと、いざという時に基本に戻れないから、ゼ
    ロからやりたいというのがありました。

    あまり器用ではないのに、器用にわかった気になって、訳がわからな
    くなってしまった苦い経験があるので。とにかく触ってみて冷たいと
    か、話していて楽しいとか、すごく当たり前の感覚を大事にしたいと
    思います。

宮崎 コンサルではなくて主体であるということですね。
    そうやって悶々と悩んだ1年間に、今回の事業計画が立てられたんで
    すか。

松村 いいえ。まず思ったのは、社会という大きな球体がある中で、経済と
    いうのはその真ん中にあって水みたいなもの。そして、その水、つま
    りお金を循環させるためにいろんな業界や会社があって、たくさんの
    人が働いている。少しでも大きくお金を循環させようとがんばってい
    る。でもそうやって皆がんばって働いているのに、東京の街をぶらぶ
    ら歩いていて、その周辺の風景が好きになれないなと思ったんです。
    それに歩いている人々は元気そうには見えないし…。とにかく僕らが
    住んでいる東京は美しくないなと、ある時ふと思ってしまったんです。

    抽象的な表現ですが、社会という球体の中で経済的なことの外部とい
    うか、経済的には成立しないサービスだったり、お金では解決しない
    ことにしわ寄せがきていると感じました。経済優先に振れすぎている
    から、社会の胎盤としての機能がどんどんやせ細って弱くなる。例え
    ば病院だったり、学校だったり、公園などの緑地だったり、いろんな
    周辺の部分にしわ寄せがきているのではないでしょうか。

宮崎 経済社会を囲む「人として生きるための安全膜」に厚みがなくなって
    いるということですね。

松村 そうですね。どんどん薄くなって、簡単に人が(その膜)セーフティ
    ーネットからもれてしまっているような。

宮崎 少し前の時代はここにいられたのにということですね。

松村 ここで暮らしてみたいというか、なんか公園でボケーとしていて、さ
    っもう一回働くかみたいな、なんかそのゆりかごみたいなものがあっ
    たかなっていう気がするんです。

    そんなものが今はなくなっていて、ただこうひたすらバトルロワイヤ
    ルみたいな状況になっている。そして、その傾向は、東京のような大
    都市で顕著です。

    それで、テーマはコミュニティー、学校、医療、公園・・・この辺り
    の福祉的な役割をやろうと決めたわけです。


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●今の自分にできることは「公園」をつくること
  そして、経済性と両立させる「新しい仕組み」ができてきた
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宮崎 なるほど。そこからいよいよ事業計画ですね。

松村 退職した後の2、3か月はどの分野に絞るかを考えました。

    まず医療は、現場の実感の裏づけを得るのにものすごく時間がかかり
    すぎるように思い、やめました。

    学校はすでに民間でやっていらっしゃる方が何人もいらして、また人
    を育てるということに関しては、人間性としての基礎がしっかりして
    いなければならないと思うのですが、まだまだ僕は人間的に未熟だな
    と思い、やめました。

    いろいろ考えているうちに、公園を民間でやっている人は誰もいない
    から公園をやろうと思ったんです。
    それで屋上緑化をやっている社長さんに話しを聞きにいくと「屋上緑
    化はもう限界だよ」っておっしゃるんですよね。場所がないって。そ
    れで結局のところ不動産というか、都市の限られた土地という面積の
    奪い合いという問題にぶちあたったわけです。

    じゃぁ、今まで何にもなっていない空中に新たな空間を創ろうと。

    僕の経営の恩師である人が「駐車場の上を使った事業ができないか」
    という話をしていて、誰も本気にしていなかったんですが、たまたま
    僕はそこに居合わせて「おもしろいかな」って思って「やりましょう」
    ということになったんです。

    僕はもともと公園を創りたいわけだから「やっぱり公園ですよ!!」
    って言ったんですが、「そんなことやっても儲かんないよ!!」と言
    われました。本当に最初は、このショールームのようなビジネスの仕
    組みもなくただ漠然と公園を創るつもりで、大企業にスポンサーにな
    ってもらって公園を創ろうと思い営業に行ったのですが見事に玉砕。
    一緒にやってきたチームも解散に追い込まれました。これはどう頑張
    ってもだめだな、あまりにもあり得ない話だと僕自身も気がついたん
    ですね。ただお金がかかるばっかりの話ですからね。

    スポットをやっていてもだめなんだ、ちゃんと仕組みをつくらなけれ
    ばと、次はちょっと頭をつかって考えたわけです。

    ただ公園だけでは儲からない、儲からなければ普及しないというのが
    わかったので、経済性と社会性と両方を実現できる道を模索しました。
    誰もが商業的につかえるような空間であって、かつ、そこに公園が設
    置できたら・・と思ったんです。そう考えてみるとこの都心の100
    円パーキングの空中という空間が使える。

    でも実際には、法律的にも慣習的にも建築的にも本当に難題が山積み
    で、それを一つ一つ解きほぐして解決するのに2年かかりました。

宮崎 法律的にクリアーするのは結構大変だったんじゃないですか。

松村 既存の駐車場に建物を建てて「空中権」の賃貸借をするのですが、そ
    の他、建物そのものをレンタルする仕組みやら「契約書」も全てオリ
    ジナルでつくりました。

宮崎 この建物もとてもユニークですが、どうなさったんですか?

松村 今回、設計を手掛けてくださった建築家のアトリエに相談に行ったら、
    「これはどうか?」というアルミ建築の提案を受けたんです。「あぁ
    これはいける!!」と思い、それからショールームを訪ねカタログを
    全部見させていただき、直感が確信に変わり、グループリーダーの方
    に頼み込んで社長に引き会わせてもらいました。そこから道が開けま
    した。

    このシステムは3日程度で組み立てられます。別な場所に何回も組み
    立て直せるので、不動産を流動的に活用しなければならない地主さん
    にとってはとても有効な土地活用法になりますし、新しく何かを始め
    ようとする人達にとっては手軽に「拠点」を確保することができます。
    都心に新しい白いキャンパス、余白が産まれることになったわけです。
    これから21世紀に求められる新しい業態や新たな活動を行なう人々
    を育む社会の胎盤としての役割を担って欲しいと思っています。

宮崎 その上がもともと松村さんがおやりになりたかった「公園」つまり
    「緑化」された空間になるわけですね。この室内空間も、屋上の緑化
    空間もあることで、屋内、屋上ともに価値が上がり、さらに都市も緑
    化されるわけですから、どこもみんないいといういう感じで・・・。
    経済性と社会性が両立するビジネスプランになったんですね。

松村 そうですね。勝ち組・負け組というような二者択一な言い方がはびこ
    っていますが、本当はもっとグラデーションであるべきと思います。

宮崎 そうですね。私としては松村さんがもっている「いいこと」と「ビジ
    ネス」のバランス感覚が素晴らしいと思っています。今までの「天職
    を探せ」に出ていただいている方もみんなそうなんですけど、両方の
    感覚を当然持っていて、バランスがとれている。上手にブレンドして
    いる。これからはそういう人がどれだけ出てくるかによって、社会が
    どうなっていくかが決まると思っています。「天職を探せ」シリーズ
    では、今はまだ結果は出ていなくとも必ずいい方向に変えてくれると
    いう人にお会いしてきているつもりです。私の勝手な思い込みですが、
    期待しています。

    さて、今後の計画とかは立っているんですか。

松村 3年後60棟、売上8億円。2010年に上場、そのときの売上げは
    25億から30億円と考えています。お陰様で、新聞の取材や不動産、
    駐車場関係者、また直接地主さんからの引き合い、テナント様からの
    引き合いも確実に増えてきています。

    2年間本当に孤独な日々が続きましたので、電話が鳴ると「きたっ!」
    って過剰反応してしまってます(笑)。真剣に話を聞いてくださるだ
    けでも本当に嬉しく思っています。

宮崎 そうですか(笑)その感じとてもよくわかります。屋上緑化はまだこ
    れからの計画ということですが、本筋を外さないよう本当に自信をも
    って頑張ってくださいね。

    最後に何かこれだけは言っておきたいということはありませんか。

松村 同じ世代の人に言いたいのですが、かなえられない「夢」は見ないと
    いうことです。「夢」ならなんでもいいということはありません。
    かなえられる「夢」を描いて、かなえられるようきちんと努力をする。
    ただ漠然と「夢見つづける」のではなく、具体的なイメージを固めな
    がら一歩一歩そこに向かって地道に進んでいく。新幹線でピューと行
    けるような簡単な方法はどこにもありません。そして一旦、覚悟を決
    めたら、何があっても、決して、決して、決して、諦めない...。

宮崎 そういうことを松村さんのような若い方に言ってもらえると有り難い
    ですね。私たちが言うと何かお説教じみてしまうので。

    とても興味ある楽しいお話をありがとうございました。
    5×緑(ごばいみどり 都市緑化システム)だけじゃなく、いろいろ
    お役に立てればと思っています。応援しています。
                                (了)