2006.4.12発行 vol.215
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■特集企画■】天職を探せ 第14回
かなえられる「夢」を描いて、きちんと努力する。
100円パーキングの“空中”に「新しい夢のつぼみ」と「都市の緑」
を産み出したい。株式会社フィル・カンパニー・松村方生さん(前編)
◆物理学の「理論美」「様式美」に惹かれていた学生時代
でも、世の中って「ニュートンの法則」だけでは動いていないぞ
◆日本経済が疲弊していた中、「企業再生」に大義を感じた・・・
外資系戦略コンサルティング業界へ
◆仕事を通して見えてきた社会の構造
勝ち組にいながら悶々と考えた「これからの自分」
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都市にもっとほっとする空間や緑があったらいいのに・・・。そんな思いは
都会ですごす誰しもがいだくものです。
でもどうやって実現する?
その方法を見出して、ビジネスとして取り組もうとしている1人の起業家に
出会いました。松村方生さん、28才です。
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かなえられる「夢」を描いて、きちんと努力する。
100円パーキングの“空中”に「新しい夢のつぼみ」と「都市の緑」
を産み出したい。
株式会社フィル・カンパニー・松村方生さん(前編)
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東京の街に立ってぐるり360度見渡すと、ビルとビルの合間に必ず見える
「100円パーキング」の看板。休閑地の手軽な活用システムとして、ここ
10数年の間に急速に拡がった都心の風景です。そして今後、この風景が、
また変わろうとしています。
駐車場の上には、アルミの枠と透明なガラスで組み立てられた直方体の建築
物が建ち、屋上には緑の空間。28才の青年起業家松村さんが「人が人らし
く生きるために本当に必要な空間を都心につくりたい」という思いから、発
想した100円パーキングの空中利用というアイディアです。
パーキングの上には、新しい価値を生み出そうとする人達のショップやオフ
ィスなどの「拠点」をつくり、ビジネス的に成立させる。そしてその上を緑
化する。単に都市緑化というだけではなかなか実現が難しいことを、ビジネ
スとの合体によって実現し、継続・拡大が可能なモデルにしようとするもの
です。
不動産や建築の業界構造を根本から見つめ直したプランは、環境省主催の
「2005年環境ビジネスコンテスト」で準グランプリを受賞しています。
純粋に学問だけをしようとしていた物理学専攻の学生が、キャンパスの外で
気がついた「人間」ってもの・・・。花形外資系戦略コンサルティングファ
ームに就職して、企業再生の現場にどっぷり浸かって気がついた「社会」っ
てもの・・・。
そして退職、起業。
いつも「思い」に素直で、そのなかで持てる力を最大限に発揮する松村さん
のこれまで、そしてこれからのお話を、先日東京駅八重洲口近くにオープン
したばかりのショールームで伺いました。
【プロフィール】
株式会社フィル・カンパニー 代表取締役 松村方生さん
まつむら まさお 1978年埼玉県生まれ。父親の転勤で小学校時代は大
阪で育つ。東京工業大学理学部物理学科卒業。外資系戦略コンサルティング
ファーム、ベイン・アンド・カンパニーに入社。数々の企業破綻が新聞で大
きく報じられていた時代背景の中、新規事業立案、合併後の戦略構築など分
野を問わず主に企業再生に係るコンサルティングに従事。4年後に退社。
その後、株式会社フィル・カンパニーを設立。今年2006年3月20日2
年間の準備期間を経て、「フィルパーク」の第1号をショールームとして東
京八重洲に完成。駐車場の空間を利用する独自のスキームが動き出す。
■株式会社 フィル・カンパニー
<
http://www.philpark.jp/
>
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●物理学の「理論美」「様式美」に惹かれていた学生時代
でも、世の中って「ニュートンの法則」だけでは動いていないぞ
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宮崎 大学では物理を専攻されたということですが、中学校、高校の頃はど
んなことがやりたかったのですか?
松村 小学校の頃からアインシュタインやホーキング博士などに興味があり
ましたが、何になりたいというのはありませんでした。本を読むのが
好きで勉強はできましたが、どちらかというと内向的で、外向きに何
かをやるというタイプではなかったですね。
生まれつき目が悪く弱視なんです。そのことで幼かった頃は、親から
スポーツをはじめ、いろいろなことを制限されていて、その中で生き
る道を探すものだと思っていましたから。
ただ、人と違うというコンプレックスはあったけど、とにかく勉強を
頑張りました。
そして高校に入った時には身体を徹底的に鍛えました。
部活動では少林寺拳法をやりました。親は色々心配したようですが、
武道というのは多少見えなくても相手の気配を感じて動くこともでき
るんです。全国大会に出場したりして結果も出しました。
勉強もできた。運動もできるようになった。文武両道を実現して自信
につながったんだと思います。実際に何かをやって自分の限界を拡げ
ていくことで、少しずつコンプレックスから開放されて自由になりま
した。
大学で物理学を選んだのは、学問の中で、一番本質的で、難しそうだ
ったから。テクニカルじゃないのがよかったのかな。
宮崎 あまりお金につながる分野ではありませんが、そこはどのように考え
たのですか。
松村 当時、中高生だとあまりお金を使う機会もないし、お金というものを
感じることもありませんよね。たぶん、教材でもらういろんなものの
中で、数学というものにある純粋な理論美とか、様式美とかに惹かれ
たのだと思います。
宮崎 そして就職なさったのが戦略系コンサルティングファームだというこ
とですが、何か理由があったんですか。
松村 もともとは大学院に進んで学問を追求することしかイメージしていな
かったんです。
純粋に数学の定理や物理学の理論などを「おれこの真理わかっちゃっ
た」みたいな、ある種自分のものにして使いこなせるというようなこ
とを追っかけていましたから。でも、どうやら世の中「物理学」だけ
では全く動いてないぞと気がついた。ニュートンの法則では動いてい
ないということを実感したんです。
宮崎 例えばどういう時に。
松村 つき合っている彼女にフラれる。これって明らかに関係ないですよね
(笑)。それに世の中で政治家が台頭したりするのも物理とは全然関
係ない。単にモノが落ちるということは法則としては真実なんだけど、
社会を動かす力ではないっていうか、あまりにも客観的すぎて何かを
動かす力になっていない。説明するための純粋なこう・・なんていう
んでしょう・・・。
写真に似ていると思うんです。写真というのはクリアーにピシっとそ
の瞬間を捉えているけど、そこにあるオブジェクト、つまり「モノ」
がないと成立しない。きれいな写真としてぴしっと撮られている富士
山や夜景なども、その写真を撮る前段取りというものが山ほどあって、
あの写真が撮れるわけです。
客観としてある事実だけでは成立しないもっと動的な関係があるんだ
ということに気がついたんです。
宮崎 物理学、つまり学問というもは、世の中のある部分静止している原理
ではあるかもしれないけど全部ではない。もっと他にいろんな営みが
あって、それは原理になるものではなく、常に更新されて新しいもの
に変化していく。その方がちょっと面白いかなって思ったんですね?
松村 客観的に見ることに飽きたんだと思います。
アカデミックな狭い世界にいながら自分自身の視野を広げないと、と
いう危機感もありました。
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●日本経済が疲弊していた中、「企業再生」に大義を感じた・・・
外資系戦略コンサルティング業界へ
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宮崎 就職活動の時は、いろいろ回ったと思うんですが、ジャンル的(外資
系戦略コンサルティングファーム)には決めていたわけですか。
松村 はい。裏表あると思うんですけど、表の部分の仕事の目的として「日
本のお父さんを守りたい。父親がクビになって家族が路頭に迷う、そ
れを守るなんて、なんてかっこいいんだろう」って思いました。
裏の部分としては、給料が高かった。
大義名分とお金というふたつの天秤が、自分の中で両方高いのがいい
なって。
あとは仕事として具体的に何をやりたいというのが特になかったので、
分野として選べませんでした。
宮崎 何年お勤めになったんですか。
松村 4年です。
宮崎 入社なさった頃の日本経済は大変な状況でしたね。
松村 えぇ、破綻寸前の企業の再生だとか、M&A、合併後の事業戦略構築
だとか。新人研修を1週間受けた後、いきなりOJT。プロジェクト
の現場に出て個人としての結果をすぐに求められました。
宮崎 プロジェクトというのはチームとして行なうものですよね。
松村 えぇ。あくまでチームで行ないますが、基本的には各自責任を持ちま
す。
宮崎 一般的にいうと経済を勉強した人のスキルなりが活かされるような気
がしますが、物理系の学問がどのように活かされるんですか?
松村 戦略系コンサルタントというのは、洞察力、論理的思考に優れている
ことが第一条件で、知識やバックグラウンドは特に選びません。
物事を観察して、論理的に結論を導き出す力が重要で、知識として必
要なことはその都度身に付けていきます。その分野に関する知識が初
めから豊富であることは必要とされません。必要なのは方法論を持っ
ているかどうかなんだと思います。
例えば、本当に料理が上手な人は、料理本何万冊という豊富な知識が
なくても、素材や道具が持つ特徴、使い方ひとつでいろんな美味しい
料理がつくれると思うんですね。それと似ていると思います。
実際その会社にはさまざまなバックグラウンドの方がいらして、人材
の宝庫でした。とても貴重な経験ができたと思います。本当に知力・
体力の限界まで酷使して忙しかったですが、やりがいがありました。
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●仕事を通して見えてきた社会の構造
勝ち組にいながら悶々と考えた「これからの自分」
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宮崎 そして、ある種勝ち組みといわれる世界にいた松村さんが、何故退職
をし、今の事業をはじめようと思われたのですか。
松村 3日、3ヶ月、3年ってよくいいますが、3年はどんなことでもやろ
うと思っていました。どんな仕事でもきっといいことばかりじゃない
けど、最初の3年は夢中でやるんですね。でも3年経つと見直すわけ
です。これでよかったのか、このままいっていいのかなって。
僕の場合も、本当にこのままで自分のやりたかったことが果たせるの
かなって、4年目の一年間は悶々と悩みました。
自分の仕事の限界が見えてきたんです。
企業再生の現場に携わっていて、次から次へと企業の問題に直面し、
再生のための戦略を構築して提案する。それは確かに高い報酬を頂け
る価値の高い仕事とは思うのですが、その仕事の前段階と後段階はど
うするのか・・・ということなんです。
まず前段階でいうと、会社が次々と苦しい状況に追い込まれていった
背景には、これまで経済産業省がとってきた政策が成り立たなくなっ
ていたという問題もあります。
これは事業計画というレベルでどうにかできることではないですよね。
もとをただせば官僚がもっと早く手を打っていれば避けられた話なん
じゃないか。そういうことに目がいくようになったんです。
宮崎 カンフル療法というものではなくて、もっと抜本的なところをなんと
かしなくてはということですね。
松村 えぇ。あとは後段階の問題。自分のやった仕事が本当にクライアント
のためになったのか、実態が改善されているのか、ということにも疑
問を持つようになりました。
宮崎 結果的になかなか想定したようになっていないということですか。
松村 もちろん本当に良くなったケースもたくさんあります。それは誇るべ
きことだとは思いますが、一時的には好転したもののまた苦しい状況
になってしまうようなケースもありました。
僕は若かったから、もっと理想を見たかったから、自分の仕事も必要
なんだということに気がつきませんでした。今思えば、あの時、よそ
見をせず、もっと仕事に打ち込んでいたら、また違った道もあっただ
ろうし、別の方法を見つけられたのかも知れないと思うこともありま
す。
今は自分の責任が持てる範囲で、少しずつでいいから、本当にピカピ
カの元気な会社を創りたいと思っています。
宮崎 それでご自分で起業なさろうとしたわけですね。ただ、今のお話で
「前段階」であればもっとマクロ的というか政治的ということがあり
ますね。「前段階」についてはご自分でやるということとしてあまり
関心はないのですか。
松村 ああ問題はここだな・・。ということを考えると、政策研究室とか、
政策秘書とか、シンクタンクに行こうかなとも思いました。大きな器
から変えないと何にもならないと思いまして。
宮崎 ほぅ それでどうなさったんですか。
松村 まず、官僚だけでは国を変えられないということがわかりました。
実際、官僚の世界からコンサルティング業界に入った人達もたくさん
いるので、省庁の現場の話を伺うことがあるんですが、結局官僚だけ
では国を変えられない、だったら政治家になれば変えることができる
だろうかと考えたんですね。
宮崎 そうですか?政治家も国を変えられないと思いますけど。
松村 まぁそうなのかも知れませんが、官僚は政治家に弱く、政治家は民意
に弱いというじゃんけんゲームのような構図の中でどの立場を選ぶか
ということです。
自分自身が立候補することも含めて政治の世界にいこうかなと、いろ
んな人に相談したんですが、どうやらまだ僕にはポリシーがないなっ
て気が付いてしまって。信念がないわけですよね。
「これが日本にとって必要」とか、「こういう21世紀の日本を創るべ
きだ」とか、なんでもいいんですが、自分の中にリアルな実体験に基
づいた人間性という基盤のようなものが出来上がっていないんです。
今政治の世界に入ったら呑み込まれてしまう、自分を見失ってしまう
ような気がしました。
それで、そちらの世界に飛び込むのは後にしようかなと・・・。
宮崎 後にはあるのですか。
松村 そうですね。50才60才になったら(笑)。
宮崎 今の流れと逆ですね。政治の世界はどんどん若くなってますものね。
松村 政治といっても漠然とですが、僕は市長のようなやりたいことができ
る、顔が見える範囲がいいかなって思ってます。
宮崎 もしかすると道州制になってて、道知事?州知事?とかになると面白
いですね。
松村 そうですね。8道州とかになって、それぞれ個性があって、文化の街、
工業の街とかあって、皆それぞれ好きなところに住むというのがいい
ですね。
(後編に続く)