2004.5.12発行 vol.164
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■特集企画■天職を探せ 第13回
      幸せを包む布「ポジャギ」がつないだ私の天職
      ポジャギ作家・李 京玉(イ・キョンオク)さん(後編)

      ◆仕事を辞め、結婚を機に日本在住後の落ち込み。原因は仕事

      ◆“一生懸命やっているのを誰かが見ている”は本当

      ◆何よりも楽しい仕事がポジャギだとわかって

      ◆伝統を見直しながら学ぶことの楽しさ

      ◆今、日本にいて求められる自分と仕事を自覚する
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◆前編の記事より◆

■日本神話の根の国と韓国神話の海洋世界というのが同じような意味の場所
 であることから、国は違っても普遍的な世界を見出すことができると確信
 しました。自分たちに都合よく解釈して「日本人は韓国文化に影響を受け
 た」という考え方もありますが、私は反対です。住んでいる国が違っても
 人の考えることには共通な部分があって、普遍的な世界観が生まれたのだ
 と思いました。

■子供の頃は父も母も仕事が忙しく、兄弟も5人で大変だったので父方と母
 方の祖母たちが一緒に暮らしていました。祖母たちはいつもチマチョゴリ
 を着ていて、その滑らかな艶のある布を見ては子供ながらに素敵だと思っ
 ていました。今でも忘れられない織り柄の絹もありますよ。その布を最近
 見つけてポジャギを作りました。昔見たお気に入りの布たちが記憶の中で
 生きていて、今の私につながっているようです。古い布にも歴史と昔の人
 の思いを感じてしまいます。

■本当に好きなことをするために全てを捨てて取り組まないといけないなん
 てことはない。少しの時間でも努力していくと必ずいい出会いがあって、
 それから新しい道が広がったりして今日まで順調にやってこられたので、
 自分の気持ちを信じて「行動してみる」ことが大事なんだと私は思ってい
 ます。

 (前編の内容は、こちらでお読みいただけます)
 → http://www.pangea.jp/c-press/backnumber/cp-0163.html

                       (聞き手:包山奈保美)
【韓国のパッチワーク、ポジャギ】
手芸ファン以外はまだ知らない人が多いのですが、麻や絹の小さな布を縫い
つないで四角い1枚に作り上げたものです。大きさはいろいろで、風呂敷の
ようにものを包んだり、覆ったり使い方も自由自在。巾着やストールになっ
たポジャギもあります。繊細で透明感のある素材と色彩の魅力、自由にはぎ
合わせた直線の面白さは新鮮です。

・「なぜ今ポジャギなのか」
布を愛する心は時代を超え、国を越えて女性たちに受け継がれていきます。
韓国のポジャギも昔から家々に当たり前のようにありましたが、戦後は新し
いものがもてはやされる傾向にあり、一時忘れられていたのです。それが、
ここ数年前から、日本のコアなファンを得て徐々に脚光をあびています。テ
レビドラマ「冬のソナタ」人気もあり、韓国文化に対する興味が本格化して
いることもポジャギのような手仕事布にまで及んでいるのかもしれません。

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      幸せを包む布「ポジャギ」がつないだ私の天職
  天職をさがせ 第13回 李京玉(イ・キョンオク)さん(後編)
       好き!を仕事にした今の思い&これからの志
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 李 京玉(イ・キョンオク)さん
ポジャギ作家。1970年、韓国・大田(テジョン)生まれ。大学で日本語を専
攻し、鳥取大学、広島大学大学院に留学。2001年より、日本人の夫との結婚
を機に大阪・堺市在住。幼い頃からの布好き。趣味で続けていたポジャギを
文化交流に役立てようと、現在、大阪市内の会場を中心に教えている。「ポ
ジャギ工房koe」サイトも人気。この4月には「私のポジャギ」(発行/
風讃社、発売/けやき出版)という初めての本も書店に並び、ポジャギ作家
としてもデビューすることになった。

『ポジャギ工房koe』
 → http://www.korea-e.jp/

『私のポジャギ―韓国で生まれたパッチワーク』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4877512365/careerpress-22/

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●仕事を辞め、結婚を機に日本在住後の落ち込み。原因は仕事
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―韓国の大学では、親日家のお父様の影響もあって、日本語と日本文学を専
 攻して学び、日本にも留学した縁でご主人と出会いました。結婚を機に3
 年前から日本に住み、ポジャギを教えるようになった京玉さんですが、そ
 れまでは韓国で日本語を教えていたそうですね。

◆広島大学の大学院を卒業してから韓国に帰って4年間、大学で日本語を教
 える非常勤講師として働いていました。

―週に何回くらい教えていたのですか?

◆20時間以上は教えていました。というのも、韓国の大学生も第1外国語
 (英語)の他に第2外国語が必修ですが、韓国人にとって日本語は他の外
 国語に比べると学ぶのが楽なので人気がありまして。教養日本語という学
 科を1997年の春から2001年の春まで教えて、その直後に結婚しました。

―かなりハードなスケジュールで仕事をしていましたね。

◆私は常に何かすることがないと不安になってしまうんです(笑)。非常勤
 講師をしていた頃も、それぞれ1カ月以上あった夏休みと冬休み中は気力
 もなくなって落ち込んでしまい、学期が始まるととても忙しいんですが、
 働いている自分に安心できました。

―結婚後は異国で無職の身になったわけですね。どんな思いでしたか?

◆2001年の春に結婚して日本(大阪府堺市)に来た当時は本当に落ち込みま
 したね。まずは専業主婦で家事をするだけの毎日で、大人2人の生活です
 から小さい頃から兄弟の面倒を見たりして家事が好きな私としては余力が
 あります。日本語や韓国語を生かせる仕事を探しましたけれど、なかなか
 見つからなかったし、あっても条件が合わなくて自分に合う仕事がなかっ
 たんです。ただ収入を得たいわけではなく、自分が生かせる仕事をしたい
 ということですから。


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●“一生懸命やっているのを誰かが見ている”は本当
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―自分らしい仕事をするきっかけはサイトの立ち上げでしたね。

◆休みとしては長すぎるような状態が1年ほど続いていた頃、主人のすすめ
 で韓国の文化を知ってもらうサイトを作る決心をして、ゼロからがんばっ
 て2002年5月にスタートさせ、やっと落ち込みから抜け出せたのだと思い
 ます。そして自分が夢中になれる大好きなポジャギを仕事にする幸せにつ
 ながりました。

―外で見つからなかったので自分で好きな仕事の場を作った。

◆最初はそうかもしれません。その後、私のサイトを見てくださった方から
 声をかけられ、2003年の春からは大阪や神戸のいくつかの会場でポジャギ
 を教えたり、2004年の春には本が出たりして、ポジャギの仕事が広がって
 いきました。

―誰も助けてくれないから、と言うのは順番が逆で、まずは自分で行動して
 みる、一歩踏み出すことが大切なのですね。

◆最近思うことは「人は見ていないようで実はどこかで見ている」というこ
 とですね。こんなこと皆わかってくれるかなということでも、やっている
 とどこかで誰かが見ていてくれるものです。

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●何よりも楽しい仕事がポジャギだとわかって
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―これまでにポジャギを仕事にしたいと思ったことはありましたか?

◆それは、漠然と。なんとなくそうなればいいなと思うだけで、全然具体的
 な思いではありませんでした。夢にもそんなポジャギを仕事にする生活が
 できるとは思っていなかったので、今はとても充実しています。ポジャギ
 は私にとって幸せそのものですから。

―4年間、日本語の講師として教えていた頃と、ポジャギ作家として働いて
 いる今ではどこが違いますか?現在の心の充実度を比較することはできま
 すか?

◆いちばん感じるのは、両方とも何かを教える仕事であるということです。
 日本語を教えていたときは100人以上の学生を同時期に教えることもあ
 りましたし、喜びも感じましたが、学生にとって日本語は第2外国語でし
 かないのでそれほど思い入れもないようだし、授業が終わるとさっさと帰
 っていくしで、一方通行の印象を持ちました。ポジャギは教える側と教わ
 る側のつながりが濃いんです。教室にいらっしゃる年輩の方から「これが
 私の本当にやりたかったことです」などと聞くと、人の幸せに少しでも役
 に立つことができたと新鮮な感動を覚え、やりがいを感じます。

―ポジャギは留学中も続けていたのですか?

◆日本留学中は研究で忙しく、布も持ち合わせていなかったのでポジャギを
 作れませんでした。韓国に帰ってからの4年間は冬休みや夏休みによく作
 りました。伝統文化でもあるポジャギを今のうちに習っておかなければ誰
 にも教わることができなくなるという危機感を持っていました。

―韓国で誰かに教わったのですか? 

◆教えてくれる人はいませんでした。私の場合は独学ですね。今はポジャギ
 を教えるところはあります。88年ソウルオリンピックをきっかけに韓国全
 体の文化水準が上がって、余裕が出てきたので伝統文化にも目をむけるよ
 うになり、ポジャギも注目され始めました。日韓ワールドカップ共催の頃
 さらに注目度がアップしたと思います。韓国のポジャギ人気はこれからが
 本番というところでしょう。

 布好きな中学生だった80年代の初め頃は韓国でポジャギの文化が忘れられ
 てしまった時期で、その頃からほとんど作られていませんでした。私の記
 憶でも母が布を縫い合わせることはしていましたが、それがポジャギとい
 うものだと聞かされたことはありません。


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●伝統を見直しながら学ぶことの楽しさ
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―なるほど。そんな環境でどのように独学で学んだのでしょう。

◆アンティークポジャギの本や現物を見ながら「ここはこうかなあ」とか言
 いながらまねして作っていました。韓国でポジャギの本が初めて出版され
 たのは2000年なんです。布は市場でチマチョゴリの仕立て屋さんを覗いて
 は「はぎれありますか」と聞いて回り、捨てられる寸前の余り布をもらっ
 て使いました。

―今も材料はそうやって集めたはぎれですか?

◆仕事となった今はそんなことをしていては間に合わないので、本末転倒で
 すが反物で仕入れた布をわざわざ切っています。自分で布を切ってはぎれ
 を作るとなぜか、どれも似たような大きさになってしまったり、ポジャギ
 らしい自由な幾何学模様に仕上がらなくて困っています(笑)。韓国に帰
 るとはぎれをできるだけ分けてもらうのですが、今後はもっとポジャギ本
 来のあり方に戻り、日常の余り布で作りたいと思いますね。

―他に今後実現したい具体的な計画はありますか?

◆そうですね。日本でも最近は古い布が流行しているのでそういった日本の
 古布で作品を作りたいという気持ちがあります。私は布が汚れていても全
 然気にしないでにおいをかぐクセがあるのですが(笑)、誰が使ったもの
 だろうと思うと1枚の布にさまざまな人の思いや記憶が込められているの
 だと感動します。だから、古い布で何か作品に挑戦したいです。

―古い布には生まれていなかった時代の歴史が込められていて、その布を使
 うことで昔をいろいろと想像できるのでとにかく惹かれ、なおかつ現代を
 生きていくための仕事としても取り組めることが「天職」と感じさせるの
 でしょうか。

◆私が生まれたのが1970年で現在は2004年ですが、それ以前の時代にすごく
 惹かれるんです。日本に来てからもたとえば、60年代の日本を私は知りま
 せんが当時建てられた建物などを見ると「時代の生き残りだ」と思っても
 う胸がドキドキして、その建物に呼ばれているみたいに入りたくて仕方が
 ないです(笑)。奈良で昭和の古い鏡台を買いました。怖いとか気持ち悪
 いと感じる人も多いようですが、そういったものにこそ愛着を感じます。


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●今、日本にいて求められる自分と仕事を自覚する
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―将来、自分と仕事はどうなっていたいですか?

◆ずっとポジャギを続けていきたいと思います。日本にいて日本文化を吸収
 した韓国人の私が伝えるものを韓国の作家さんや一般の方に見てもらいた
 い。
 教室でも、ただ「きれいでしょう」ではなく、ポジャギがどうして生まれ
 たのかなどもっと文化に踏み込んだ話をしながら教えられたらいいですね。

―日本からポジャギを発信することにこだわりますね。

◆日本にいる私は韓国にいる人とは違うカタチでポジャギを伝えることがで
 きると思うんです。たとえば、ほとんどの韓国人は日本の布を知りません
 が、私は日本にいるのでこれから勉強すれば日本の布に詳しくなれます。
 また、日本にいて韓国の布文化や民話、民間信仰を知る人は少ないですが、
 私は体で理解しているし教えることもできる。そう思うと私は今とても魅
 力的な立場に立っているのではないかと気づきました。

―お話をうかがって、ポジャギの仕事は伝統を見直すことや、別のところで
 生まれたいろいろなものをつないでいくというところが興味深く、特には
 ぎれを縫いつなげることで1枚の布であることよりも味わいが増すなどは、
 いろいろな人たちの集まりで成り立っている「きゃりあ・ぷれす」と重な
 って感じました。最後に、京玉さんの天職であるポジャギの魅力とは?な
 ぜ今、日本で求められているのでしょう。 

◆いろいろな人の歴史が込められひとつのものになっている姿にまずひかれ
 ましたが、形にこだわらないポジャギ本来の成り立ちが真の魅力ではない
 かと最近思うのです。型紙があってそれに合わせるのではなく、いろんな
 形のはぎれを縫い合わせていくだけという自由さ。同じものを作るのでは
 ないから失敗作もなく、お互いが完成させたものの違いを認め合う。個性
 を出し合っていいものができるのは素晴らしいことです。ポジャギが日本
 でも受け入れられたのは、皆が会社に言われるまま忙しく働いている中で
 自分の個性をあるがままに出せて、なおかつ認め合える点。自分らしくい
 きいきと縫い進めて(仕事して)こそ素敵なポジャギになる事実が今の日
 本社会に求められているからではないでしょうか。(了)