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←藤田さんの作品は、 野焼きで完成する |
・藤田さんの作品(画像をクリックすると拡大して表示されます)
また、青木さんの作品は、鉄というハードな素材をダイナミックに使いなが
ら、全体として繊細な感覚を呼びおこすものになっている。
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←青木さんの作品。 野外の展示もあったが、 私はこの室内の作品にひかれた。 こちらを向いた左端が青木さん。 その奥の方が針生館長 |
・青木さんの作品(画像をクリックすると拡大して表示されます)
3人の作品はそれぞれに個性的であり、金津という「地」、創作の森という
「環境」を活かしたものである。その中で私にとってとりわけ印象深く、感
動的だったのは辻けいさんの作品だ。
個人的に知っているからという訳ではない。また、作品の単に造形としての
美しさにみせられた訳でもない。彼女のアーチストとしての本当に真摯な取
り組み方に感動したのだ。
今、アートの世界も現代社会の他の様々な枠組同様、閉塞状態にあるようだ
。芸術論的に現代のアートがどう位置づけられ、どういう方向に向かってい
るのかは、私は知らない。しかし、ルネッサンス以降「人間の創造力」とい
うものが今ほど絶対的価値を失いつつある情況はないのではないかというこ
とは私にもわかる。そうであれば、真摯であればあるほどアーチストは創作
活動にたじろがざるを得ないであろう。それはもちろんアートの世界だけの
ことではない。ビジネスの世界でも情況は全く同じである。
辻けいさんは、こうした閉塞の時代の中で、アーチストとしてどうあるべき
か、何をすべきかを世界の各地でフィールドワークという手法を通して追求
している。
辻さんのフィールドワークは、表現の場となる「地」と「環境」の本来もっ
ている隠された力を純化させて、すっかりそういうものに鈍感になってしま
った私たち現代人にも感じられるように構成しなおす作業のように私には思
える。
それはまるで昔は私たちの身近にどこにでもいたすべての「モノ」や「コト」
どもに宿る精霊たちを、再び呼び集める祭司のしわざのようだ。
辻さんは今回「金津─壁」「金津─円」という2つの作品を手がけている。
「金津─円」については、「きゃりあ・ぷれす」のためにご自身がコメント
を寄せてくださっている。この作品はおそらく、1回限りの訪問では、本当
の素晴らしさを感じるのが難しいものではないだろうか。なぜならゆっくり
した生態的時間の流れの中で変化していく「コト」の美しさを表現している
ように思えるからだ。
1度しか訪れていない私は、「金津─円」の素晴らしさを語るには分不相応
な気がする。辻さんの思考や活動の純度の高さ、真摯さに感動するばかりだ。
実は、今回創作の森に行きそれぞれの作品に接して私が最も直感的にすごい
と思ったのは「金津─壁」の方だった。3メートル四方程で厚さ30センチ
程の壁が人1人通れるほどの間隔で2枚立っている。内側にはベンガラがぬ
られ、その赤が印象的だ。夏草におおわれた坂道をのぼっていくと、道は2
枚の壁のせまい間を貫いて続いている。私たちは2枚の壁の間に誘われる。
そして立ちどまる。その空間は創作の森だから得られた空間ではあるが、ま
た全く別の空間でもある。というより、創作の森という広大な空間を、もし
かしたら凝縮したような空間なのかもしれない。壁に入る前は聞こえなかっ
たビオトープ化しつつある池の水音が確かに聞こえた。辻さんは壁を作った
のではなく、この空間を作ったのだと思った。心がふるえる感じがした。
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←金津─円 |
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←金津─壁 |
・辻さんの作品(画像をクリックすると拡大して表示されます)
●「金津創作の森」館長のお話
創作の森の館長は美術評論家でいくつかの大学でも教鞭をとられ、私も講演
会などでお話を伺ったことのある針生一郎さんである。70歳を越えるご高
齢だが、いつも画壇や美術界の枠にとらわれない先進的なお考えをおもちの
方だという印象をもっていた。
辻さんの作品で何だかとても感動してしまった私は、「森の精三人展」のオ
ープニングイベントで語られた針生館長のご挨拶を聞きながら、自分でもま
ったく不可解なのだが、なぜか涙が流れてしかたがなかった。針生館長はも
ぞもぞとした語り口ながら、確かに“今のいきづまりを越えていく主体とし
ての女性への期待と手ごたえ”について語られた。
ああ、ここでもそんなことがおこっている。誰がコントロールしている訳で
もないのに、同時多発的にジャンルを越えて確かに変化がおこっている。そ
して心にくもりのない男性の有識者の口から、同じことが語られる。この変
化は本物かもしれない。そんな思いが心をいっぱいにしてあふれてしまった
ようだ。
●「金津創作の森」のこと
「金津創作の森」は、金津町が出資して設立した財団が運営している。20
ヘクタールの森に、メイン施設のアートコア、ガラス工房、創作工房、創作
家たちのアトリエゾーンが点在し、建物だけがやたら立派な多くの美術館と
は全く趣きを異にしている。
まさに建物でなく森全体が創作の場であり、アートと接する場なのである。
金津創作の森財団の出口事務局長は、町役場から出向されているということ
で、今回の辻さんの作品づくりには、みずからパワーショベルを動かすなど
して共同作業をされたということだった。私が「箱を作ることはできても、
内容を充実させたり、運営するのは大変じゃないですか?」と問うと、「ふ
るさと創生基金を3年分ためて、それをベースとしてこのスペースができま
した。その後の運営は企業メセナや友の会会員からの資金協力も得ながら自
前で運営しています。大変です。」と日焼けした顔で話してくださった。そ
こには官僚的なことなかれ主義のにおいのかけらも感じられない。ふるさと
創生基金がまともに活かされた希な例だと思った。このスペースの自由での
どか、それでいて活力のある空気感は、「町」という小さな行政単位だから
こそ、そして出口局長のような主体的に動く方がいらしてこそのものなのだ
ろうと強く感じた。
今回の福井県「金津創作の森」訪問は、様々な意味で、これからの方向性を
感じさせるものになった。
もし機会があれば、是非多くの方に訪れてほしい場所だ。屋内の展示もある
「森の精三人展」は8月18日までだが、会期終了後も、野外の作品はその
まま設置されている。(このことも、他の美術館では、なかなか実現しない
ことらしい。)詳しい場所や問い合わせ先はサイトで見ることができる。
http://www.mitene.or.jp/~sosaku-k/ (ただ、7月31日現在、残念なが
らリニューアルが間に合っておらず、今回の展示についての案内は載ってい
ない。)
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◆<金津創作の森>での仕事……美術家・辻けい
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<金津創作の森>の針生一郎館長より「20ヘクタールの森を自由に使って
作品を制作して下さい。」と、依頼されてから、現場で様々なイメージを膨
らませていった。
いつものようにフィールド・ワークの手法(現地の調査・研究・構成)で序
序に作品は形状をみせていった。
今回の作品の特質の一つは、<BIO・TOPE>を創ることであった。
時が止まったかのような、赤茶色の濁った沼地をどのようにしたら活性した
場所にすることが出来るだろうか?
金津創作の森(町営で財団)の局長は「作家の方が、ここで仕事をしたこと
が本当に良かった!と言ってもらえることが一番大切な事です。」と、言わ
れた事が、今でも心に響く。この地の活性に少しでも参加出来た事の喜びは、
“作品”という“モノ”以上に、人の情熱が素晴らしい<かたち>を創る?
とても良い例となったと思っている。
職員と一緒に「この沼を美しい池にする!生命の場にする!」という目的は、
まるで儀式を行うようなやり方で、進められていった。一本一本沼に埋めら
れた。炭化した丸太228本の集合体の<円>になった。
これは、炭化した廃材を使用する事で、浄化装置のような作品が可能になっ
た。丸太の隙間には、やはりこの森に沢山自生している竹を炭にしたものを
入れ込んだ。これも浄化作用の一役になった。更に浄化は、沼の中に波紋を
起こす装置を設置したことで、炭化の作品との相乗効果になった。
これらの仕事は、現場でのフィールド・ワークが無ければ成立しない。アト
リエで創った作品を設置するというやり方ではないからだ。自然の形態、気
候風土をよく観察した上で、更に人(職員)の協力なしでは出来ないことで
あったことを痛感する。現実の美術館行政の中で、本当に希な、良い例とし
ての<金津創作の森>での仕事であった。